エピゴーネン? #青ブラ文学部 (エッセイ?)
*参加させていただきます。宜しくお願いします。😊
*エピゴーネン?
「エピゴーネン」という言葉に・・・
それは何ぞや? が、 最初の印象でした。調べると・・・
・・・なるほど。なんとなく理解しました。(笑)
当方は主に昭和の時代に漫画の世界に関わっていたのですが、そんな目線で今の《マンガ》の印象を言わせていただきますと、失礼ながら・・・まさにエピゴーネンを感じます。押並べて今のマンガ界に流通している画風(?)に亜流の印象を受けてしまいます。時代の流れでそれが必然とされた流行なのでしょうから私などが口を出す立場でもありませんが、少しばかりの不自然さを感じてしまうのをお許しください。
エピゴーネンの解説に「学問、思想、芸術などで、先輩のまねをするばかりで独創性のない人。亜流。模倣者。追随者。」とありました。
漫画の世界の絵では先人の模倣から入るのは必然的な常識で、プロになることを目指すなら誰もが通る道です。その流れで、自分の個性に見合った画風に辿り着きます。決してエピゴーネンを体現化するものではありません。
とはいえ、亜流に満ちた世界であることは昭和の時代も同じでした。
この場で漫画論とかに触れるつもりもないので、自分が若かった頃の、つまらない体験話でも書いてみようかと思いました。
もちろんテーマは《エピゴーネン》で、それに反発していた頃の、若気の・・・想い出話で失礼いたします。
☆☆☆
自分が高校3年生の頃(一人暮らしでした)、とあるお色気な大人向けのマンガの単行本を手にしました。『アンドロイド・ピニ』(桑田次郎)。
巻末に作家の平井和正さんの寄稿で「日本で1番絵の上手い漫画家。アシスタントの成り手もいない」的なことが書かれていて・・・
(それなら俺がなる!)と決めました。(笑)
絵の得意だった自分は絵の道よりも漫画の世界に進むと決めていたので・・・上京の後、あれこれの末に桑田先生のアシスタントになり、先生の机と横並びの机に座すことに成功しました。
桑田次郎は昭和の漫画界の大先生でした。
『まぼろし探偵』『月光仮面』に始まり、当時では『8マン』のテレビ放映もされていた大先生の横でお手伝いをさせていただく・・・それだけでも大感謝の立場でしたが、その若造はやや(かなり?)怖れを知らない無謀な若者でもありました。
仕事の机に向かって半年・・・初期の緊張は何処へやら、その若造は本性を現し始めました。指示された絵をそのまま描くのに反抗して、なんと大先生の丁寧に描かれた下描きを、大それた事に消しゴムで消して・・・
自分ならこう描く!!
と、先生とは違う画風で描き始めたのでした。当然、大先生は驚きましたがそこは人格者!「・・・いいですね!」と、若造の描いた絵を認めてくださったのでした。とんでもない若造でした!(笑)
☆☆☆
そんなことを思い出しながら、エピゴーネンには染まらずに<亜流・模倣・追随>に、どこか反発を抱いていた若造だった自分を再確認してみたのでした。もちろん大反省も込めて・・・(本当だろうか?笑)☆
桑田先生も数年前に故人となられ、若造だった自分も今年の誕生日で後期高齢者を宣告されました。時の流れに情けはありません。
エピゴーネンというお初の言葉に、つい釣られて・・・
つまらない 身勝手な想い出話を書いてしまいました。
まるで自慢話の体裁で 大変失礼いたしました。
【了】