夜から逃げるように

 ボストンから成田に向かう飛行機の中でこれを書いている。インターネットに接続できなくてもNoteアプリを使えば編集はできる。一時保存などはできないようだけれど。
 このところ、年に一度くらいのペースではあるものの仕事で海外に行くようになった。今回は初めての東海岸。13時間のロングフライトだ。日本とボストン時差もちょうど-13時間なので、現地に着いたら1日の続きを始めるといったところだろうか。
 国際線に乗るときはどうしても時間を持て余しがちだ。モニタで映画を観ようにもなかなか集中力が続かないし、本を読むにも暗い機内の中で手元灯を点けるのは気が引ける。30分くらいのドキュメンタリーや旅番組が手頃なのだけれど、好みの内容のものは案外少なくすぐに弾が尽きてしまう。
 そうなるとぼんやりフライトマップを眺めるか、考え事に耽ることくらいしかやることが無くなる。今がまさにその状態だ。
 地球は丸く、自転しながら太陽の周りを廻る。今さらだ。ガリレイだってずっと訴えていた。ただ、それを改めて実感するのはこうして飛行機に長時間乗っているときだ。行きのフライトは太平洋と日付変更線を越えて、「昨日」をやり直した。Fitbitの活動記録もしっかり上書きされた。今は北極海を越えて「明日」に向かっている。Fitbitの記録は時差の13時間分が空白になるだろう。
 丸いのだから、出発点と到達点の距離が等しい経路の組み合わせはいくらでもある。
 丸いのだから、夜の反対は昼になる。
 今は夜から逃げながら日本へ帰る途中だ。
 すると一つの疑問が浮かぶ。ここは今「何時」なのだろう。この地点の標準時を調べればすぐに分かるが言いたいのはそういうことではない。行きに余分に得た13時間を帰りで失う。差し引きは零だ。けれど、そのままアメリカに滞在したとしたら。死ぬまでアメリカで過ごしたとしたら。自分は実際の日付より13時間を余分に生きたまま人生を終えるのだろうか。
 そんなはずはない。生きた時間は同じだ。日付変更線を跨いだ瞬間自分の時計が巻戻ったり早回しされたりする訳ではない。時間を定義するのはあくまで人間だ。閏年だってサマータイムだって、人間が勝手に決めているだけだ。地球はただ回り、廻る。
 人間だって元々は昼か夜しか区別がなかったのではないだろうか。日が昇れば起きるし日が沈めば眠る。あるいはその逆だったかもしれない。

画像1


 夜は絶対だ。人間がどれだけ時間を定義しようと、地球の影になったところは夜になる。今何時なのか分からなくとも。
 現在自分は西へ向かう飛行機、夜から逃げる飛行機に乗っている。成田に着くのは日本時刻で「明日」の16時頃だ。初夏なのでまだまだ明るいだろう。
 現在の日本時刻は11時。カムチャッカ半島を左手にオホーツク海上空を航行している。そういえば、故郷の北海道をオホーツク海側から望んだことは無かった気がする。

 何はともあれ、自分の身体が生きているのは「昨日」でもなければ「明日」でもないし、「今日」でもない「今」なのだ。それでいいだろう。
 さて、あと3時間。もうそろそろ機内食の準備が始まるだろうか。明るくなったら本の続きを読もう。2時間あれば短めの映画も観られるだろうか。最後まで観られるといいな。

いただいたサポートで新レシピ考案したい!