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長い長い暗闇のトンネルからようやく抜け出せました。

超絶お久しぶりです。
うえまつです。

約9ヶ月の間、あらゆるSNSから離れていました。

ご心配くださった皆様、ありがとうございます。

一部界隈では死亡説なんかも流れていたみたいですが、

なんとか無事に生きています。


たくさんの方々からメッセージを頂いていましたが、
全くお返事できず申し訳ありませんでした。

そして同時に、
多方面に渡りたくさんの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。
本来であればまず先に個別にご連絡を差し上げるべきですが、
後述する事情により、
ひとまずこの場をお借りしてお詫びさせていただきます。
本当に、大変申し訳ございませんでした。


9ヶ月も何してたんだという話ですが、
結論から言うと

ずっと「うつ状態」の暗い毎日を過ごしていました。


大好きだったOUTSENSEからは離れ、
大阪の実家でほとんど部屋に引きこもっていました。

本当に辛い日々でしたが、
つい先日になってようやく生気を取り戻すことができました。


ただ、まだ完全に体力が回復した訳ではありませんので、
頂いたご連絡全てにお返事できるのは
少し先になってしまうかもしれません。

また、直接の連絡はせずとも何となく気にかけてくださっていた、
という方もいらっしゃるかと存じます。

ですので、ひとまず一旦このような形でご報告させていただきました。


・・・。


このnoteの趣旨である生存報告としては以上になるのですが、

自分の中で整理をつけるべく、
昨年の夏から現在に至るまでの経緯を時系列に沿ってまとめ、
当時の自分の仕事への取り組み方に対する反省を綴ってみました。


かなり長くなってしまった上に、
延々と自分語りが続くだけなので、
「それでもこいつの身に何が起こったのか知りたい」
という稀有な方以外は
ここでブラウザバックされることを推奨いたします。


ですが、
今回の自分の経験が
どこかでだれかのためになれば幸いです。

門出。 (2018年 夏)

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大学を休学し、
OUTSENSEに創業メンバーとしてジョインすることを決めました。

決意の決め手となったのは、
ある事情で死にかける経験をして
「いつ死んでも後悔しないように生きよう」
と感じたことでした。


ーーー幼い頃から大好きだった「宇宙」。
大学では机上でしか学べていなかったものが、
まさに自分の生きる土俵に変わる。

宇宙分野に限らず様々なスタートアップの最先端を肌で感じ、
自分の世界が大きく拓かれていくのが本当に幸せでした。

まだ京都に住んでいたにも関わらず、
スケジュール帳は東京での予定で埋め尽くされ、
7・8月だけでも10回近く夜行バスに乗りました。


ですが、今になって振り返ってみると、
この時点で既にネジが外れてしまっていたのかもしれませんーーー。


邁進。 (2018年 秋)

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9月に上京し、
本格的にOUTSENSEへのコミットが始まりました。

チームの中での自分の役割は
とにかくあらゆる可能性を持ってくることだと考え、
様々なところに足を運んで、会社の成長の道を探りました。

自分が行動範囲を広げるのに比例して
OUTSENSEもどんどん認知されていくのが嬉しく、
日々の仕事にとてもやりがいを感じていました。


一方、健康面には全く気を遣っていませんでした。

東京で部屋を借りる余裕はなく、
ワンルームのオフィスに代表と2人で寝泊まりしていたのですが、

当然ながらベッドなどは置けないので、
デスクの隙間に薄いマットレスを敷いて寝ていました。

そんな環境で睡眠効率が良いはずもなく、
加えて以前から悪夢にうなされ不眠症気味だったので、
まともに眠れた日はほとんどありませんでした。


焦燥。 (2018~9年 冬)

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ようやく東京での生活にも慣れ始め、
個人的な人脈もかなり広がり、
宇宙業界だけでなくスタートアップ界隈でも
徐々にOUTSENSEが認知されていくのを感じていました。

そして、海外での大規模なイベントに出展できることも決まり、
それに向けてクラウドファンディングを実施することになります。


この一大プロジェクトの主担当には、
企画した張本人である自分が名乗り出ました。

1月末のキックオフに向けて、
様々なタスクを消化していかなければならず、
その負担に加えて

「絶対に成功させなければ」
という大きなプレッシャーと焦りが
深層心理のなかに積み重なっていきます。


決壊。 (2019年 2月)

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クラウドファンディングの開始を
なんとかギリギリ間に合わせ、
キックオフイベントも盛況のうちに幕を閉じました。

ですが、
当初の想定よりも支援金額の伸びが及ばず、
正直かなり不安と焦りを感じていました。


なんとしてでも成功させるべく
様々な試行錯誤を重ねていた真っ最中、
そんなある日の出来事です。


その日、オフィスにいたのは自分ひとりでした。

タスクが山積みであるにも関わらず、
連日の徹夜が祟り
昼過ぎまで寝過ごしてしまいます。

そして慌てて目覚めると、
がっかりする内容の通知が複数件。

それら自体は
普段ならそれほど気に留めないようなものでしたが、
その日はなぜか異様にズシンと重くのしかかってきました。

すると穴の開いた風船のように気力がしぼんでしまい、
やらなければならないタスクに全く手がつけられません。

ただただ、時間だけが過ぎていきます。


・・・。


気付けば、外に飛び出していました。


かなり離れた場所にあるネットカフェに行き、
そこで5日ほど過ごして所持金が底を突き、
それからは公園で寝泊まりしました。

野宿2日目、
飛び出してから1週間ほど経ったところで、
ようやくハッと我に返りました。
1週間ぶりにスマホの画面を見ると、
数え切れないほどの通知。

オフィスに戻ってこないことを心配した代表が
実家に連絡を取ってくれたらしく、
親からは警察に捜索願も提出されていたようです。


・・・当時のことは記憶が曖昧でよく思い出せません。

所持金がないと思っていたはずが、
持っていた財布には7万円が入っていました。
通帳を調べるとなんと自分で引き出していたようです。


衝動的に逃げ出し、一時的に記憶をなくす症状。
精神医学の用語では、

解離性遁走
(かいりせいとんそう)

と呼ぶそうです。


なんとかオフィスに戻り着いた翌日、
心配した父が迎えに来てくれて、
いったん大阪の実家に帰ることになりました。


常夜。 (2019年 春)

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大阪に戻るというのは一時的な休息のため。
1〜2週間したら頭を下げてまた復帰させてもらおう。

当初はそう思っていました。


しかし、自分の心がそうはさせてくれませんでした。

今までに味わったことのない無気力感。
何をしていても楽しいと感じない。
毎秒のように溢れてくる「死にたい」という感情。

これが話に聞くところの「うつ」ってやつか。
そう悟りました。

夜は全く寝付けないので生活サイクルは昼夜逆転し、
そのループにすっかりはまってしまいました。

次第に全く言葉を発さなくなっていき、
声の出し方すら忘れてしまいました。

ある日、なんとか意思疎通を取ろうと、父が筆談を持ちかけてきました。
「どうして涙が出るんだろう?」という問いかけに対して、自分が書いたものがこれです。

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自分でもなんでこんなものを書いたのか、分かりません。
ただ、涙を流しながらボールペンを握っていたのは覚えています。

そんな先の見えない真っ暗な毎日が2ヶ月ほど続きました。
元号はいつの間にか令和に変わっていました。

日本中でひとりだけ、
ぽつんと平成に取り残されているような気がしました。


微光。 (2019年 夏)

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そんな日々も、心療内科に通い始めたことで
ようやく終わりを迎えます。
処方された抗うつ剤を飲むことで、
気力が湧いてくるようになりました。

「とりあえず何かしたい」と思い、
様々なプログラミング言語を学んだり、
DTMで「歌ってみた」用のカラオケ音源を打ち込んで販売したり、
昔からお世話になっているライブバーでアルバイトをさせてもらったり、
ミュージシャンの方の伴奏としてギターを弾かせてもらったりと、

徐々に社会の中で生きていけるようになりました。

しかし、体調にはまだ波があり、
集中力もなかなか以前のようには続きませんでした。


後退。 (2019年 秋)

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順調に回復してきていると思っていたのですが、
あることをきっかけに逆戻りしてしまいます。

アルバイト後にお酒を飲んだ帰り、
些細なことで母と口論になり、
家中のものを投げ散らかすほどに暴れ回ってしまいました。

幸い誰にもケガはありませんでしたが、
あんなに暴れたことは人生で一度もありません。

翌日、担当医の方に聞いてみると、

抗うつ剤には気分を上げる作用があり、
そこにアルコールまで加わると気分の抑制が効かなくなってしまう。
その結果、自分の意思とは関係なく身体が動いてしまうこともある。

とのことでした。

たしかに飲酒はきつく禁止されていたので、
言い付けを守らなかった自分が悪いのですが、
それ以来、薬そのものを怖く感じ始め、
自己判断で服用を止めてしまいました。

これが完全な悪手でした。
突然の断薬は離脱症状(禁断症状)を引き起こします。

当時はこの判断ミスに気付くことができず、
また元の憂鬱で無気力な日々が続くことになります。


復活。 (2019年 11月)

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それから約2ヶ月の間、
なんとかこの長い長い暗闇のトンネルから抜け出そうともがき続け、
必ず元に戻れるという希望だけは絶対に捨てないようにして、
徐々に生活サイクルと食生活を正し、
集中力も少しずつ持続させられるようになっていきました。

そうして、先日になってようやく
「かなり回復してきたかも」
と自覚できるようになりました。

様々な要素が絡み合ってやっと手にした復活でしたが、

本当に、本っ当に、長かったです。

しかし、いざこのようにケロっと復活してみると、
なぜあんなにも「死にたい」と思っていたのか、
全くもって理由が思い出せません。笑


タイムスリップして当時の自分に言いたいこと

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寝ろ。

基本のキです。
赤ちゃんでさえ出来ています。


休め。

プライベートな時間も大切です。
スマホだって充電するでしょう?


妥協しろ。

「手を抜く」ことも才能です。
「完璧主義者」は自分も周囲も不幸にします。


過信するな。

ひとりの人間ができることには限界があります。
どんな風船も空気を入れ過ぎると破裂します。


任せろ。

もっとチームを信用しましょう。
指揮者が楽器を演奏してはいけません。


自分を大切にしろ。

だいたいのものは替えがききますが
あなたはこの世にひとりしかいません。


今後について

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今回の経験を通して感じたのは、

「自分はスタートアップに向いていない」

ではなく、むしろ

「これを教訓にすれば上手くやれるはず」

でした。

この業界のスピード感や自由度は
やっぱり好きだしとても心地いいので、
そう遠くないうちにまた戻ってきたいと思っています。


また、
宇宙業界からはいったん退くことになりますが、
幼い頃からの夢はとても消し去れないので、

少なくとも死ぬまでにはもう一度、
宇宙に関わる仕事がしたいです。

これは一生揺らぐことはないと思います。

これから先、
あらゆる選択肢がある中で
どんな選択をしていくか自分でも分かりませんが、
どうぞ引き続きあたたかく見守っていただけますと幸いです。


おわりに

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ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


誤解をおそれずに言うと、

これまでの人生の中で
「挫折」を経験したことが
一度もありませんでした。

もちろん、
失敗や後悔はたくさんありますが、
「挫折」という言葉のニュアンスに
当てはまるようなものはありませんでした。

一方で、自分が尊敬する人の多くには
過去に挫折を経験し、それを乗り越えてきた
という共通点がありました。


なので、
「挫折経験がないのがコンプレックス」
という意味の分からない感情を抱いていた時期がありました。



しかしこの度
めでたく(?)
ようやく人生で初めて

大きな大きな挫折を味わうことが出来ました。



もちろん、
たくさんの方々にご迷惑をおかけしたというのは
決して変えようのない事実で、
社会人として許されることではありませんが、

自分自身は今回の経験を通して
何倍も強くなれたと感じています。


全ての出来事には意味があると考えて、
今回の経験にもポジティブな価値を見出し、
今後の糧としたいと思います。



令和元年 11月10日
植松 風登





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