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平和だからこそ文化的活動がある

風見です。2022年の今を生きる一人のクリエイターとして、今現在について思ったことを書き残しておきたいと思います。

こうして私がPCに向かっているいまこの瞬間も、海の向こうで戦争が行われています。
戦争について経験者のお話を伺ったり、文献や映像をみることはあり、恐ろしく絶対に繰り返してはいけないものだということは分かっています。
ただ、平和な状態が保たれている現代の日本に生まれ、今まで実際に戦争の危機感を感じることがあったかと問われたら、そうではなかった気がします。

ですが、今の世界状況は日本も対岸の火事とは言えない。
平和とは世界の絶妙なバランスの上に成り立っているのだと、ここ一週間で強く感じさせられたと共に、人と人が争う根源的な恐怖を感じました。

恐怖を感じると共に、平和な日常は当たり前ではなく、今の日本がいかに恵まれた環境であるかを再認識させられました。

寒さを凌げる家や快適に眠れる布団があり、寝込みを野生動物に襲われる心配もない。お金に不安はあっても、明日の食糧が全くないわけではない。
水道をひねるだけで清潔な水が得られ、薪で火をおこさなくても、ガスで料理ができたり湯を沸かせる。
寒さや暑さを調節できる空調、ボタン一つでつく明かり、繋がりたい人とすぐに繋がることができ、知りたいことを検索できるインターネット。
そして言論の自由と、クリエイティブの自由。
日常だけを切り取ってもこんなに恵まれている。感謝しかありません。

だれかが「現代人は昔の王侯貴族よりも恵まれている」と言っていたのを聞いたことがある気がしますが、まさにその通りだと思います。
でも私たちが享受しているこの快適な日常は当たり前じゃない。人々が平和に向かって長い年月をかけて土台を作ってくれたからこその今がある。そして戦争がひとたび起これば日常は簡単に壊れてしまいます。
それがいま海の向こうで現実に起こっています。

情報はリアルタイムで伝わりますが、私の日常は続いています。
私が絵や文章を創作している間にも、刻々と情勢は変わっていく。
そして考えさせられます。
日常が奪われ、命の危機が迫った時に果たして今取り組んでいるようなクリエイティブで文化的な活動はできるのだろうかと。
全てなくなるとは思いません。しかし優先順位はぐっと下がってしまうでしょう。文化的な活動は生活を豊かにしてくれますが、緊急事態の場合、生存に必須な行動を最優先するのではないかと思います。

そういった意味で、平和という前提があるからこそ安心して文化的な活動に取り組むことができ、また仕事として成り立っているのだと気付かされます。

平和は当たり前じゃない。
戦争、攻撃の矢面に立っているわけではない私ですらそう感じます。

では今、自分には何ができるか。
個人にできることは限られていますが、まずは正しい情報を得ることと、考えること。具体的な行動としては募金。

私の声は小さいけれど、小さな声をあげられる自由を今は持っています。
戦争は誰も幸せにしません。どうか平和な世が戻りますように。

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