「命に貴賤がある」とnoteに記載する「自称ネット寺院」の悪質性について。
「命に貴賤がある」とnoteに記載している自称「ネット寺院」が存在している。
noteアカウント開設の早々にその旨の記載をしている辺り、確信犯とも云える。
実際の寺院であれば、無論、そのような記載もしまい。もしすれば、他の同種の寺院から破門すらされる類と思う。
ところがこの自称「ネット寺院」は、どうも寺院や寺関係者でもなく、修行経験者でもないようだ。
単に、自身のネット検索等の思い込みから自称寺院を名乗っている様子である。
ゆえに、
たとえば、「やまゆり園事件」の際に、
この事件の被告同様の発言に興じていた輩が記載をする事さえ、可能性としてはある。
またそれをしていたとしても、
それは、誰にもバレない。
noteが確認をしないからだ。
もしくは、もし確認をしたとしても、
その者にそれなりの「肩書き」があれば、
note側も黙ってしまうのが、現在の日本の社会の実際の有り様だ。
(結局は「寄らば大樹」と「助け合いでなく依存のしあい」が事実は大半を占めている。
口先で誤魔化した言葉の歪曲で善人を装う多さに、日々痛みすらを感じる。
近年の指導者に、この典型が続いた為、それを子供時代に刷り込みされ、まるで「一般常識」のように当然に真似て生きる者も出るかも知れぬ危惧さえ感じる。又それは子供や若者だけではないのだ。)
また、悪質なのは、
その「命の貴賤」が、
「徳」のあるなしで決まるという、
いかにもな「歪曲や、論理のすりかえ」で「命に貴賤があること」が正論のように〝誘導〟している事だ。
これは、
この手の「流布」で「洗脳」を企てる輩の多くに見られる特徴でもある。
「美しい国」「神」発言に声高だった集団が、
実は、自分達が醜い行ない三昧で多くを長年にわたり欺いていた事は、
昨今やっと公になった。
私は十数年前からその具体を自身の政府勤務経験から伝えていたが、
近年まで誰も耳を傾けず、
貧する国民を置き去りに莫大な額の国葬も決行した。
そしてその国葬の者の関係者という印籠で、その後も左団扇で暮らす算段を取っていたりもした。
ちなみに、「やまゆり園事件」の前後に、
私個人にこの事件の被告同様をネット上で繰り返していたのは、
上記の、以前の政府勤務の関係者だと、幾つもの証拠から、ほぼほぼ判っている。
なぜ私がターゲットになったかは簡単な話で、
私がその勤務以前に彼らの一方的に嫌う新聞社に非正規勤務をしていたということ、
又、身体障害ある私が、彼らの一部より仕事が常に早く正確だったためサカウラミを受け続けていた事や、一部上役に評価をされた事、
又、彼らの数々の悪事を私が知っているという事、
そんなところだ。
実に下らない事で、彼らは執拗な制裁を行う。
彼ら自身の保身だろう。
実際の自身がそれら程度で揺らいでしまう程の幼稚性ゆえのジタバタだ、とでも云うべきだろうか。
その中には、強いコネを持つキャリア官僚も含まれ、
彼らは、バーベキュー写真で公に知られた御用記者とも当時から懇意で、彼は記者であるのに自身の個人ブログでも事実無根の流布で当時から〝誘導〟をしていた。また其所のサイバー担当者も彼らとつるんでおり、私に対する元々のネット中傷書込みは、このサイバー担当者の個人的趣味関係の中傷スレッド内から何故か始まっていた。
彼らはもう十数年前から、
非実在アカウントの作成での〝誘導〟など、当然のように行っており、
その一連を私は見、また攻撃被害にも遭ってきた。
「Dappi」は彼らと何処かで繋がるお友だちだろう。
彼らは未だ、格差を悦び、その分断を望み、
自分達の「優位」を示し感じたくて堪らぬ、中身は幼児性の塊である。
わるい意味での幼児性思考と、
手段知識とそれを動かすカネとコネに事欠かない状態が、
悪意を持てば、
どうなるかは、それなり想像はつくと思う。
その暴挙を許しているのは、
私たち皆の態度一つということを、
認識してほしいと思う。
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