筑紫哲也氏は、
当時に多かった他の「ガミガミ系」の評論家やジャーナリストに「軟弱」と言われたほど、
実は、温厚で穏和に努める面のある方だったと、
当時の、いち視聴者として思う。

しかし、
今、その発言を見返すと、
誰より的確な視点でそれぞれを論じている。

それが顕著に表れているものの一つが、
「web多事争論」の最終回「この国のガン」だ。

「軟弱」といっても、
現在にもやはり多い「対象を小馬鹿に」する事も、まるで無い方だった。
指摘批難は行えど「これは明らかにおかしいですよね」のレベルで留め、決して相手に見下す視線を取る事はなかった。

これこそが「品性」である。

私個人は、これは、
私が成人前からリスペクトし続けている、
筑紫哲也氏と高橋幸宏氏の共通点だったとも感じている。

又これは、同じくリスペクトする、
後藤田正晴氏  (※ 正純、ではありません。)にも、
共通するかと思う。
そして彼らは、一貫、そうだった。

そして、21世紀以降の大人、
特に、インターネット上の人たちに、
最も欠けてしまった、
「日本人の、真の優秀と云われた理由」であろうと思う。

その欠落の進行には、
学歴社会に染まったバブル浸透者たちが多く「信仰」してしまった、
「上下思考」「勝ち負け嗜好」の介在があった。

それらの真の部分でのポンコツぶりは、
近年や現在の政治を見て、明白だろう。

2024.1.11 6:00 筆


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