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奈良神社巡り 石上神宮その2

さて、石上神宮の御祭神についてあらためて。

御祭神は、
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
の3柱。
配祀神として、
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇(しらかわてんのう)
市川臣命(いちかわおみのみこと)
の4柱。

です。

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)とはタケミカヅチの佩刀であり、神武天皇の大和入りを助けた神剣だと前回書きました。

布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)とは何かというと、天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)のこと。

いわゆる十種神宝(とくさのかんだから)のことで、これは記紀には書かれていないのですが、ニギハヤヒノミコトが天の岩船に乗って降臨してきたときに天津神から授けられた十種類の宝物のことです。

沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

の10個で、分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が、首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフのようなもの)3種となります。

これらを使って、この神社に伝わる「ひふみ祝詞」を唱えれば、死者さえも蘇るという、驚くべき秘宝です。

これらを携えてやってきたニギハヤヒノミコトとは、神武天皇より先に大和に入っていて、もともとヤマトにいた民であるナガスネヒコの妹を娶り、この地を治めていました。

ニギハヤヒは神武天皇がアマテラスの子孫であることを知って、神武天皇に抵抗するナガスネヒコを殺し、神武天皇に恭順することになります。

古事記には詳しく書かれていないのですが、『先代旧事本紀』によるとニギハヤヒとはアマテラスの子のアメノオシホミミの長男で、天孫降臨したニニギノミコトのお兄さんということになります。

別名は「天照國照彦天火明櫛甕玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしみかたま にぎはやひ の みこと)といい、「天照」という言葉があることから、ニギハヤヒこそ本当の天照大御神なのではないかという説もあり、古代史ファンにはたまらない神様です。

『古事記ゆる神様100図鑑』のニギハヤヒです。

磐船に乗ってますね。ニギハヤヒがこの船に乗って降臨した場所は河内国(大阪市交野市)のあたりで、そこにはニギハヤヒを祀る磐船神社というのがあります。よかったらそちらにもどうぞ。昔、一人で行って、すっごい怖い思いをしました(岩窟拝観)。今は一人ではできなくくなったようですね。興味のある方はお友達と一緒にぜひ行ってみてください。

このニギハヤヒとナガスネヒコの妹トミヤズビメの子供が宇摩志麻治命(うましまじのみこと)です。この神様も石上神宮の配祀神として祀られています。ウマシマジノミコトは物部氏の祖で、神武天皇に命じられ、神剣フツノミタマとともにこの十種の神宝も宮中でお祀りしていました。

宮中では十種の神宝を使って初代天皇と皇后の大御寿命(おおみいのち)が幾久しくなられることを祈られ、これが鎮魂祭(みたまふりのみまつり)の初めなのだそうです。まあ、言ってみれば神官の祖みたいな。

『古事記ゆる神様100図鑑』のウマシマヂです。

物部氏っていうのは軍事を司った氏族で、この神社は武器庫の役割も果たしていたそうです。古代の鉄の盾や百済から伝わったとされる国宝の七支刀などが今も保管されています。

さて、メインの御祭神のもうひとつが布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)。これはスサノオがヤマタノオロチを切った刀のことです。

なぜこの刀がここで祀られているのか、いまいちよくわかりません。いろんな説がありますが、個人的には原田常治さんの『古代日本正史』が大好きです。興味あったらググってください。

ウマシマヂ以外の配祀神の五十瓊敷命(いにしきのみこと)とは第11代垂仁天皇の長男で、第12代景行天皇のお兄さん。ほんとだったらお兄さんが天皇になるところなんですが、垂仁天皇が五十瓊敷命と弟の大足彦尊(景行天皇)に望むものを聞いたところ、五十瓊敷命は弓矢を、大足彦尊は皇位を望んだので、垂仁天皇は五十瓊敷命には弓矢を与え、大足彦尊には皇位を継ぐように言ったと日本書紀に記されています。そして、その後、石上神宮の管理をするようになったそうです。

五十瓊敷命が高齢になったため、その管理は物部十千根大連(もののべのとおちねのおおむらじ)に委ねられることとなったんだとか。

白河天皇は石上神宮への崇敬がとくに厚い天皇だったそうです。

市川臣命(いちかわおみのみこと)は石上神宮の社職の祖で、第11代垂仁天皇の頃にはすでに務められていたそうです。子孫は布瑠宿禰(ふるのすくね)と称し、祭主である物部連(もののべのむらじ)に副って永く祭祀にご奉仕されました。

これでご本殿の神様の説明は終わりです。

で、境内には他にも摂社があって、興味深いのがこちら。

摂社の出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)です。奈良に出雲? と思ったら、この出雲建雄とは草薙剣のこと。草薙剣とはスサノオがヤマタノオロチを退治したときにその尻尾から出てきたという刀で、その後スサノオがアマテラスに献上し、三種の神器となっている宝刀です。

石上神宮のご本殿ではヤマタノオロチを切った刀が布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)として祀られ、摂社で切られたおろちの尻尾から出てきて、スサノオの刀の刃を欠けさせたという草薙剣が祀られているという。

なんかワクワクします。面白くないですか?

と、興奮しながら境内をちょろちょろしていました。

境内で目を引いたものと言えば、鶏です。

色とりどりの鶏がわんさかいます。

近くに行っても逃げません。

朝でもないのに「コケコッコー」と鳴きまくってます。石上神宮のホームページには「約30匹」と書いてありますが、絶対もっといると思う。

約40年前に奉納されて、そこからさらに奉納されたり繁殖したりでこんなに増えちゃったみたいです。

と、長くなってきたので、次回へ続く。

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