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Report:Transit yard #1

無料公開中 TransitYardの住人であった柴田大輔が、映画「ラプソディオブcolors」の主な舞台であるTransitYardに関わった人たちの悲喜こもごものReportします。TransitYardとは何だったのか?障害のある人、ない人が分け隔てなく交差したTransitCafe☀colors。青年起業家、フォトジャーナリスト、地域ミュージシャンが、重度知的障害のある青年と共に暮らしたシェアハウス。障害の有無での分断と差別がまかり通る日本社会で、奇跡のような軌跡を描いたTransitYardの5年間から何が見えてくるのか?


トランジット・ヤード

                       (写真・文 柴田大輔)

東京都大田区、庶民的な雰囲気が漂うJR蒲田駅から東急池上線に乗り換え、ひとつ目の蓮沼駅から徒歩3分。背丈の高いマンションに囲またところに、古い一軒家のシェアハウス「トランジット ヤード(以下、ヤード)」があった。

3階に知的に重い障害を持つ男性「ゲンちゃん」が住み、1階は様々な人が集えるイベントスペース「カラーズ」。この2階に僕は、約3年ほど部屋を借り暮らしていた。本当はそんなに長く住むつもりもなかったのだけど、ここに集うたくさんの人に揉まれるうちに、なんだか楽しくなって長居をしたのであった。

ヤードは2019年8月に取り壊されて、今はもうない。建物の所有者である大家さんが売りに出し、買い手がついたことで、マンションに建て替えることになったのだった。

なんだか不思議なほど、色々な人が集まる場所だった。人も空気も濃かった。場所は、そこにあつまる人が作る。では、いったいどんな人がどんな思いであそこに出入りしたのだろう?関わる人に話を聴いていこう。その先に見える世界があったり、なかったりするのかもしれない・・・。

まずは住民であった自分から、ヤードとの関わりを、お話したいと思う。

1、ヤードに入る

僕がヤードに入居したのは2015年7月。その年の元旦、「ヤードですき焼きを食べる会」に参加したことがきっかけだった。友人の山田くんに誘われ参加したその会で、ヤードを管理する、障害者の移動を支援する団体「風雷社中」理事長・中村さんに出会い、入居を誘われたのだった。

僕はアルバイトで貯めたお金で南米に行くことを繰り返していた。この年末は運送会社の倉庫で仕分け作業に励み2月の渡航に向け資金を稼いでいた。大晦日の夜勤バイトがあけると二日間の正月休み。一人で過ごすのも寂しいなぁ思っていた。

元旦は昼ごろ起きて電車に乗り、夕方の蒲田駅に降りた。人もまばらな正月の商店街を歩き。教えられた住所に向かう。着くと中にはすでに何人かの人がいた。オレンジ色の壁に囲まれ、ソファーが並ぶ。ガラス張りの壁面が通りに面していて、外から中がよく見えた。

中村さんは金髪に派手なスカジャンだった。その外見にどきりとしたが、気づかれないよう振る舞った。中村さんは笑うとクシャリと顔全体にシワがよる。振る舞いや会話に壁がない。第一印象とのギャップがおおきかった。

少しして帰ってきたのが、当時二階に暮らしていた石川トモさん。この日、僕を呼んでくれた山田くんは、石川トモさんを「キックボクサー」だと説明した。3階に暮らすゲンちゃんは、実家に帰省し不在だった。

肉を食べ、酒を飲んでいると緊張もほぐれてすっかり心地よくなってきた。そんなとき、中村さんから「ヤードで写真展やらない?」と誘いを受けた。その時はまだ、ここに住むとは考えてもいなかった。

すき焼きを食べた一階が、イベントスペース「カラーズ」。5月にここで展示をさせてもらうことになる。展示の時に、カラーズオーナー・石川明代さんと出会う。「大田明代」という名刺を配りながら「離婚して今は石川なんです」と明るくいうのが、当時、石川さんの挨拶になっていた。僕もそのセリフとともに名刺を受け取り、なんと返すのがいいのかと困ったのを覚えている。

展示の準備でヤードに行くと、入り口に、大きな分厚い木の板に「柴田大輔写真展」と白いインクで大書された看板を石川さんが用意してくれていた。建物のレトロ感と相まって、とてもかっこよくて嬉しかった。

展示の最中、会場に来てくれた中村さんに「ここに住まない?」と声かけられた。当時の住人「石川トモ」さんが福祉事業所を独立開業するため間もなく退去するのだという。トモさんの本業はキックボクサーではなく福祉職員で、これから社長になるのだった。

実は僕もこの時、引っ越し先を探していた。

新年を迎え、2月から2ヶ月間中南米に行っていた。出発前に当時住んでいた都内の住処を引き払い、帰国後、一時的に実家に身を寄せていた。

この近くには大きな商店街があるし、安く飲み食いできる店もたくさんある。こんな好立地なのに家賃3万円。シェアではあるが、風呂とトイレにキッチン付きの一軒家。風呂なし安アパートばかりに住んでいた僕には贅沢なことだった。「次の部屋を探すまで」と、軽い気持ちで引越しを決めた。


2、ヤードでの暮らし

僕が暮らした2階には、6畳ほどの部屋と共同利用の台所があり、間を襖が仕切っていた。台所のテーブルで食事をとる。

朝7時前に3階からゲンちゃんが朝飯を食べにおりてくる。ゲンちゃんは重度の知的障害を持つ青年だ。ヘルパーさんが生活を介助している。平日の昼間は区内の作業所に送迎バスで出勤する。ヤードの朝はゲンちゃんが歌うファンファーレで始まる。「ふぁーふぁっふぁっふぁー」と抑揚を効かせた大きな声で歌い上げ、それに合わせて手を叩く。これが本当によく響く。時期によってお気に入りの歌は入れ替わり、次は何が来るのか密かな楽しみでもあった。僕の生活は不規則で、ちょっと遅くまで寝ていたい時も、ゲンちゃんの歌声が目覚ましとなった。始めはそもそも彼との距離がつかめずに、この朝の日課も「頼むからやめてくれ」と思っていたが、慣れると僕もゲンちゃんの歌を無意識に口ずさみ、たまに彼がいない日は、なんだか物足りない気分になった。

入れ替わりでくるヘルパーさんも色々な背景を持った個性的な人が多かった。なんとなく気の合う人が多かったのはよかったことだ。年末はひとりの年越しに慣れていた僕に、元・板前のヘルパー「テツさん」が年越しそばや、お節のお裾分けをくれた。キックボクシングジムに通うストイックな「田中さん」と年末の格闘技番組を見たりもした。思えば、なんと豊かな年越しだったのだろう。

一階は「バリアフリー社会人サークル」を謳うカラーズのイベントスペース。その名の通り、バリアを作ることなく、障害の有無を問わず、様々な人が集う愉快な場所だった。月に10本くらいのイベントを打つ。音楽の生ライブ、地方議員や各方面の専門家によるお話会、ひたすら酒を飲む日、誰かの誕生パーティー、落語、占いなど、内容は多岐に渡った。どのイベントでもお酒が飲めた。僕もイベント開催を手伝った。

楽しい人に囲まれ、家賃は安く、風呂もトイレもある。楽しいことばかりのようではあったのだが、住んでみると大きな戸惑いに直面した。覚えることもできないほどたくさんの人が出入りするなかでの、確保できないプライベートの時間。襖一枚のみで仕切られた部屋には、外の音がよく入ってくる。関係する人たちとの近い距離に、息が切れそうになった。でも、それもいつのまにか慣れた頃、不思議な居心地の良さに変わり始めた。

ゲンちゃんという、多様な人が集まるヤードのなかでもひときわ強い個性を放つ青年も、ここでは特別な存在には思えず、たくさん集まる人のひとりだった。ガヤガヤしていて落ち着かない空間が、誰でもここにいることを許しているようだ。落ち着かなさも、ガヤガヤも、距離の近さも心地よさに変わった。

3、上野のシェアハウス

正月にすき焼きを食べていた頃、僕は東京・上野にある別のシェアハウスに暮らしていた。前年に南米から帰ってきて次の渡航までの繋ぎの住処のつもりで住んでいた場所だ。

半年ほど暮らしたその家は、殺伐としていた。6畳の部屋に2段ベッドが3つあり、そこに5人が暮らしていた。同じ部屋で生活しながら、それぞれが「話しかけるな」オーラを出し合い、互い一定の距離をたもっていた。住人の出入りが多い中で、一時的に見知らぬ他人が同居する。部屋の空気は殺伐としていた一方で、干渉し合わないことが気楽でもあった。

男性のみのその部屋には、「IT関係」だという20代の人、30代で「四国から来たばかり」だという人、「越谷でクロフクをしている」という30代の人、60代くらいでビルの警備員をしているという人、それに僕が住んでいた。

「IT関係」の彼は、夜帰ってくるとすぐにヘッドフォンをつけてゲームをしながら狭い部屋で納豆飯を食べるのが日課だった。「四国」から来たという彼は1日在宅し、求人誌を読みながら面接の電話を繰り返していた。「クロフク」の彼は、毎朝、泥酔して帰ってきて、夕方家を出た。「警備員」の男性は、ベッドが空き弁当の容器であふれていた。皆生活のサイクルがバラバラなので、部屋ではいつも誰かが寝ていた。そして、なんだか僕も含めて、この部屋にいる誰もがやたらと疲れていた。


4、トランジット

ヤードでは、人との距離がやたらと近かった。この距離感が心地よくなるなんて、思いもよらなかった。とても楽しい時間だった。

残念ながら、ヤードはもうこの世にはない。げんちゃんは区内に部屋を借り、介助制度を利用した一人暮らしをしている。カラーズも、別の場所に移動しイベントを再開した。僕は東京を離れて出身地の茨城にいる。

「トランジット」とは「目的地への途中で、立ち寄る一時滞在」のこと。僕も、げんちゃんも、カラーズも、別の目的地を目指して、今はそれぞれの場所にいる。あの時、同じ時間を過ごしたのはまさに「トランジット」。

何だかまとまらない話になってしまった。

この企画が立ち上がった時は、まさかこんな世相になるとは思っていなかったのですが、世の中が落ち着いてきたらヤードに関わった人たちを訪ねて、聞いた話をここで文章にしていきたいと思っています。久しぶりに蒲田でお酒も飲みたいなぁ。

引き続き宜しくお願いします。



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不定期更新します。 執筆者:柴田大輔(フォトジャーナリスト http://daisukepp.blog116.fc2.com/ )

無料公開中 東京・大田区の小さな駅、蓮沼。 その近くにTransitYardと言う、少し変わった取り組みをしていた場所があった。この3階建…

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中村和利

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