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3.11 ALIVE(命の躍動)~宮田恵さんインタビューvol.2 ~「ムーブメントメディスンに賭ける道」~3.11が日本での活動開始のきっかけに

3月11日(日)に、青山のウィメンズプラザホールにてAlive(命の躍動)~池川明先生講演会とムーブメントメディスンというイベントを開催しますが、そこで取り上げている「ムーブメントメディスン」を日本に紹介している、宮田恵さんにインタビューをさせていただきました。今回はシリーズの第2回目。

※第一回目インタビューはこちらからどうぞ
※3.11 Alive (命の躍動)池川明先生講演会とムーブメントメディスン 詳細とお申し込みはこちらからどうぞ 
【これだ!ムーブメントメディスンに賭ける道】

~ムーブメントメディスンに出会って、これだ!って思われたのは、そこにどんな可能性を感じたからですか?

フラメンコで感情を表現するということは、私にとっては本当にメディスン、薬だと思ったのですが、やはりフラメンコは型を覚えて形を追求しないとそこには辿り着けない。だけど、ムーブメントメディスンは形はあるんだけど型ではない

その人それぞれの自由がありつつ、ちゃんと自分の感情も表現できる。そして自分自身を含めて、周りの人たちや、目に見えないものも含めた自然や社会とのつながりを深め癒していく意図がこのダンスの根底にはあります。

その部分が私が求めていた“真に平和を生きる道”と共鳴したのです。

当時アシスタントに来ていたポーランド人の女性に、「ティーチャーとなる前に受けなければいけないアプレンティスシップ・コースってどうでしたか?」と聞いたら、彼女は「これは学校で必修にすべき、くらいの素晴らしいコースですよ」って言うので、なんなんだそれは!?と思い、すぐに自分の中で「決めた!全部この道に賭ける!」みたいな思いになりました。そこで、勉強にかかるお金を貯めるために日本に一旦戻ってきました。2010年でした。

久しぶりに戻る日本では、どんな仕事でもやるつもりでした。
が、なんと周りの協力でダンス・スタジオを建てさせてもらうことになりました。

でも心の中で、スタジオを持つ?自分の家さえも持てない人が世界にはいるのに、スタジオなんか持っていいんだろうか?? でも、どのみちお金を稼ぐなら自分の好きなダンスで稼いだ方がいいに決まってる。周りがそう言ってくれるのなら、やってみてもいいか・・・みたいな贅沢な境遇でした。

私は難民キャンプにいた時みたいに、誰かのためになる道を歩みたい。ダンスで平和な世界に貢献したい、と思っていたので、その当時はいつかお金が貯まったら日本を出るつもりでいました。そして、スタジオが完成した数か月後に3.11が起きたのです

【3.11体験が、日本でのムーブメントメディスン開始のきっかけに】

その時、私は群馬の実家にいて確定申告の準備をしていました。そうしたら、自宅の犬が、出産のときと同じ動きをするのです。そわそわして色々な場所のニオイを嗅ぎまわって。さては想像妊娠でもしたかな?って思っていた矢先に、あの地震が来ました。

地震・津波・福島第一での水素爆発。すぐに海外の友人から「日本から出た方がいい。すぐ出なさい」と、さんざん言われました。

日本の政府は何を隠しているのか?海外からの友人が伝えてくれる情報や、テレビやネットから流れてくる色んな情報を聞いていると、何が真実なのか全く分からなくなり、実際の状況はかなり危ないのではないか、と感じていました。

私の実家は福島第一原発から約200キロ圏です。余震が続く中、繰り返し流される爆発のシーンを観ながら、真剣に死ぬことを覚悟しました。

そして同時に「あ、私にはやることがある」って思ったのです。

日本を脱出しない、と決めた3月14日から世界の友人に向けてメールを毎日書き続けました。タイトルは「Hello from Japan」。友人たちから、何かできないか、どんな支援をしたらいいのか、というメッセージをもらっていたので、日本の今を私の立ち位置から発信しようと思ったのです。

その日の天気から始まり、被害の事、余震の事、原発そして放射能についての想い。津波の映像を見た時に思い出した、映画「ナウシカ」のワンシーンで、怒りに満ちたオームがすべてを破壊しながら突き進む姿。~オームの怒りは大地の怒り~そう告げる盲目のばあば。

このメールは私にとって遺書のようなものでした。死ぬ前にどうしても言っておきたいことを書き続けました。

【ダンスは生きる支えになるもの】

同時に、フラメンコの教室も休まず続けていました。こんな状況の中でも、みんなが踊りに来てくれる。計画停電も含めて、自分たちが “本当にこういう生き方でいいのか”って問いかけられるような事が沢山起きていたと思うのですが、そんな中でも人はやっぱり踊りたいのだなとすごく自分の中で腑に落ちました。

ダンスは、やはり生きる支えになるものなのだ、と、その時に思ったのです。別にダンス教室になんか来なくったっていい時なのに、みんな休まずに来てくださったのです。

そしてもう一つ続けたことは、友人と祈ったことです。

ちょうど新しい店舗へと移動する直前に3.11が起こり、閉店にしていた友人のお店に集い毎晩9時に祈りました。被災者の方たちへ向けて。そしてメルトダウンしている原子炉が冷却するように、冷たい氷水の中に福島第一の原子炉がすっぽりと包まれているイメージを送りました。

そんな日々の中で初めて「私には日本でもやることがある。」という思いが生まれました。日本に住みたいわけでもないし、私がやれることはここには無い、とずっと感じていました。震災があったからこそ、日本でもやることがあると感じることができたわけです。

~インタビューの続きはVol.3をお楽しみに~

3.11 Alive (命の躍動)池川明先生講演会とムーブメントメディスン 詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。当日は、ムーブメントメディスン体験ができます。


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