見出し画像

『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第58回 第47章 ファッションショーへの誘い

 ぼくはセシリアのことを考えると理性を失ってしまって、生まれて初めて、しかも、「敵地」で泥酔させられた夜に、恥ずかしい目に遭わされてしまっていながら、それでも愚かにも、その後セシリアに再び会えるようにならないだろうかと考えていた。とは言え、具体的にどうすればいいのか、良い考えの浮かばない日々が続いた。でも、何とかしよう、また会いたい、会おう(救いがたいアホざんしょ、こやつ?)、そう結論づけた日に、セシリアから封書が届いた。日に焼けた尻を丸出しにしたTバックの飛脚が、久留米絣の「制服」を着て草鞋で走ってきて届けてくれたのだ。
「ヒーヒー、ゼーゼー。一回も休みなしに8里も走り抜けたんでござんす。ドイツ人の帝大医学部教授の指示で、研究用に走行中の血液を1里ごとに大臀筋に注射針を突き刺されて採取されたんで、だいぶ体重が減っちまったんでござんす。ヘア・ドクトル・プロフェッソール、あっしの『ケッツ』液を二倍返しにしておくんなせい。時に、この近くに駅逓はありやすか? 喉が渇いたんで、キンキンに冷えたコーラが飲みたいんでやんす。クラシックの方で」
 彼女の手書きの文字を見たのは初めてだった。私の書道教室でも開けたほど達筆の父に見せたら、怒り出しかねない水準と特徴の字だった。鎌倉を舞台にした小川糸の『ツバキ文具店』に出てくる「おもじ」には、「汚文字」の漢字が当てられている。でも、このセシリアの字はボクにとっては彼女そのものだった。だから、丁寧語の「お」をつけて「お文字」と呼んでおきたい(そんなこと言ってると、もろ、なめられるど。尻に敷かれっぱなしで、ペルシャ絨毯みたいに調度品扱いされるど)。こうして、封筒と中の便箋に綴られた彼女の字は、その後何年も私の実家の日記帳に挟んでおくことになった。
 中にはファッションショーの招待状が入っていた。偽造防止用のホログラムが光っている。ひらがなで「ほんものだよーん」と書いてある。昔のカミソリの刃でなくて良かった。一筆箋には、「Joe、一緒に見に行こうよ、これ」とだけ手書きで書いてあった。万年筆で綴った(というほどの分量ではないのだが)太い字だった。辛うじて年月日は書かれていたが、それ以上何も書かれていない素っ気ない代物であった。
 ファッションショーっすか? これほど華やかで、同時に多くの男にとって苦手なイベントもないだろう。Catwalk, またはランウェイと称する歌舞伎で言えば花道に相当する通路をプロのモデルが歩いてくる。見得を切ったりはしない。テレビに出ているスターが目の前を歩いて行く。あんなに痩せていて病気にならないんだろうか。モデル独特の左右にぶれる歩き方をしている。訓練すれば逆にくるぶしから上を一切上下していないように見せかけて歩くことも十分可能である。白樺の幼木という名のグループによるそのような女性舞踊がある。長いスカートの裾は舞台に触れそうになるほど低く、ダンサーたちはまるでドライアイスで浮かせたチェスのコマのように滑らかに円を描いて移動して行くのである。夜中にそんな歩き方をする人形が何体も揃って(キャー、止めてー)、つづら折りの廊下をずんずん移動してきたら、怖くて絶叫してしまいそうである。私は実家が寺なので、ついついそのような連想をする癖がある。
「見えてるの、私たちのこと?」
「え、このオレもお前たちに見えてるのかよう?」
「キャー、今回はこのまま帰ります。あと200年は出てきませんから。約束します」
「うし。じゃあ、こっちもそう子孫に申し送りしておく。我が寺は永久に不滅です」
 翌日夜になって、追って今度は声の電話があった。糸電話の糸というものは、太くなったり、細くなったり、一時的に切れてしまったり、またいつの間にかつながっていたりするものなのだ。これは言わばスマート糸電話だな。糸、おかし。久し振りに聞く声だった。
“Joe, 今晩は。北海道じゃ、お晩です、とか、お晩でしたって言うんでしょ。おばんで言ったら、いい加減ガタの来たおばさんのことじゃないの?」
(また人の気分を平気で害することを言う。チミもそのうちそうなるんだよ)。
「あのファッションショー、パパのダチが主催しているのよ。だから、最後にキャットウォークにパパがきざな格好で一緒に挨拶に出てくるはずよ。ああ見えて小心者だから、スコッチを(少っち)あおってから出てくるかも知れないわ。あんまり飲ませないようにするわ。前の2人は行けないそうよ。ざーんねんでした。じゃあ、会場でね」
(ごめんね、のひとこともない。私の都合も一切確認しないで電話を切ってしまった。身勝手なお嬢さんだ。オレがあのことをもう怒っていないとか、間違いなく行くとでも思っているなら、、、、、(放送事故)、、正解だぞ。でも、パパの海の友だちが主催するって言ったな。どんな富豪たちと付き合ってるんだ、あのパパは。それに、あのコたちに本当に連絡してみたのかアヤスイなあ)。

第48章 揺れるキャットウォーク https://note.com/kayatan555/n/n3df489a1c732 に続く。(全175章まであります)。

This is copyrighted material. Copyright (C) 2018-2024 by 茅部鍛沈 Kayabe Tanchin « Kayatán », 新 壽春 Atarashi Toshiharu. Sapporo, Hokkaido, Japan. 石狩湾硯海岸へ接近中は、新 壽春の登録商標です。All rights reserved. Tous droits réservés.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?