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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第56回 第45章 ジェファーソン邸 (後半)

 用意のいいことに、デイビッドは別室にオードブルをいろいろケータリングで取り寄せていた。酒も何種類もずらっと並べて、黄泉の国に届く辺りまで揃えてあった。
「では、マオタイから行きますか? 強過ぎるかも知れませんが」
「飲んだことがありませんが、それで結構です」
 ここから将棋の対戦のように延々と2人の人間の酒との対処法比べが始まった。
  第1ラウンド開始! (中略)、第1ラウンド終了(所要時間24分間)。
  第2ラウンド開始! (中略)、第2ラウンド終了(所要時間15分間)。
  第3ラウンド開始! (中略)、第3ラウンド終了(所要時間12分間)。
  第4ラウンド開始! (中略)、第4ラウンド終了(所要時間6分間)。
  第5ラウンド開始! (中略)、第5ラウンド終了(所要時間32分間)。
  第6ラウンド開始! (中略)、第6ラウンド終了(所要時間2分間)。
  第7ラウンド開始! (中略)、第7ラウンド終了(所要時間37秒間)。
 あれれれ、この父ちゃん、さっきから何だか様子がおかしいんじゃないか。目が蛇のようになってきている。白蛇じゃん? すると、すすり泣きを始めてしまった。これが3分以上も続いた。小池さんなら蓋を取って麺をすすり始めるころだ。
「うん。インスタントにしちゃあ、ずいぶんいい仕事をしてる」
 セシリアは溜息をついている。洗面器はどこかに用意しているのだろうか。いや、たらいじゃないと間に合わないかな。
 ついに、すっかり酔っ払って目の据わったデイビッドは、あろうことか、ボクの体に取りすがって泣きじゃくり始めてしまったのだ! カウボーイのようにクルーザーを見事に操っていた大人の男ではなく、もう別人であった。
「わーん。聞いて、聞いて。ボクのお母さん死んじゃったの。ママー、どこにいるの。もうボク天涯孤独なんだ。誰も味方じゃなくなった。苦しいよう、悲しいよう、わーん、わーん。中学からイギリスなんかに行かされて寂しかったよう、ボク。ほんとは行きたくなかったんだ。イギリスなんて遠い遠い外国なんだよう。ボクは日本人だよう。生まれたこの横浜にずっといたかったんだ。それでも、パパからお前の将来の豊かな人生と一族の栄光のためだから、どんなに苦しくても耐え抜けって強く命令されたから、我慢して行ったんだよう。日本にいると合いの子って言われてたんで、向こうに行ったら仲間に入れてもらえるんじゃないかと思っていたら、今度は、タイもベトナムも中国も韓国も日本もカムチャッカ半島もはっきり位置が分かっていない連中に、アジアから来たサルって虐められたんだ。ボク、サルなんかじゃないよう、人間だよう。半年も一人も友だちができなかったんだよう。まったくおいしくない変な食事ばっかり出されたんだよう。あんなまずい餌で生きてるあいつらこそサルだよう。ボク、100%イングランド人か、100%日本人で生まれたかったよう、ママー。助けに来てー」
 横に終始いて一滴もアルコールを飲んでいなかったセシリアは、冷たく言い放った。
「チッ、男のくせに、David S. Jeffersonったら。みっともない泣き言言うなよ。ミドルネームが悪かったのかなあ、このとっつぁん。なんでわざわざそこだけ日本語でつけたのかしら。結局イギリスに2回も行ってて、オックスフォードを優等で出て、向こうの法曹資格取ってきたんだろうが。それで横浜に帰ってきて裕福な家庭を持ったんだろうが。おばあちゃんだって、もちろん私だって、あの優しいおばあちゃんが亡くなって悲しくて寂しいけど、うちでちゃんとした最高の治療を尽くした上で、高齢で最後は笑顔で亡くなって、丁重に葬ったんだから、それ以上は涙をこらえなけりゃ大人の人間じゃないわ。鎮魂のために庭に植えた白と紅と桃色の花桃は今年もきれいに咲いたわ。塀際にあるので、近所のお爺さん、お婆さんたちがスーパーで洗剤を買ってきた帰りに手をつないでスキップしながら、わざわざその花を拝みに来るのよ。
 ピンコロ
  ピンコロ
   知らぬうち
    眠ったままで
     あの世行き
 パパったら、一体それ以上何が不満なの。Count your blessings, not your problemsでしょ。私のボーイフレンドの前でそんな無様な真似して、恥ずかしくないの。侍だったら、ちゃんと誇りを持ちなさい。えっ、侍じゃなくて、痔? 何言ってんの? 翻訳者が困るような日本語でしか通用しない駄洒落言わないでね」
 どうやら、今夜の乱れ方はデイビッドの定番のグレ方のようだった。すると今度は目の前でひっくり返って、8倍速ぐらいのカブトムシのように駄々をこねている。年長さんか? 見苦しいぞ、おっさん。
 だが、ボクもかなり酒が回ってきていた。テキーラなんて出さないでくれ。生まれて初めて飲んだよ。ボトルにもスペイン語が書いてあるし。スコッチだってじんわり効いてきていた。だが、デイビッドと違って一言も泣き言は言わなかったぞ、オレは。我慢の年季が違うんだよ、こちとら。ああ、気持ちが悪い。でも、吐くところまでは行かない感じだな。何しろこっちは19歳だからな。若い肝臓、解毒能力ばっちり。
 セシリアが幼稚園の積み木遊びみたいに、父親にイタズラをしているぞ。鼻の周りにクサヤなんか乗っけるなよ。1本、2本、3本、キャンプファイヤーのように井桁を組んで乗せてっている。口元が埋まって見えなくなった。ランドマークタワーみたいになって行くぞ。いくら何でも可哀想すぎる。悪臭漂う海をお椀に櫂で進んでいる夢でも見てしまうんじゃないかな。ああ、人のことはどうでもいい。体が動かない。声も出せない。あれー、いつの間にか、、、。将棋を指していたわけじゃないけど、封じ手をしておく余裕もないまま沈。

第46章 大酒の翌朝 https://note.com/kayatan555/n/n17e07f221d8c に続く。(全175章まであります)。

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