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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第119回 第91章 外国語で生きられないか (前半)

 こんな話を持ち出すことは倫理上容認されるだろうか。
 実は、私は、生まれ育った北海道に戻って石狩川の三ヶ月湖の辺にある医学部に入り、6年後に医師免許を取得して医師業をしていても、いまだに心底大好きな外国語で身を立てておけば良かったと慚愧の念にたえないのである。
 しかし、札幌ではよほどの幸運に恵まれない限り外国語関係でろくな仕事にありつけず、補助的で条件の悪い細切れの仕事が時々回ってくるのがせいぜいである。いったん何らかのきっかけで有力なコネを掴んだ少数の人間が30年、40年とその狭い特権的な市場に居座り続けているのだ。この業界には定年がないため、人事は前例踏襲・硬直的であり、通訳者・翻訳者のメンツの入れ替えは、森林における倒木更新のような病気引退ないし死亡を待つしかないのが原則である。
「倒れーるぞー」
 北海道の人口は微増が望ましいが、逆に大きく減り続けている。
 その民間の力は恐らく全国一弱い。1回オリンピックを開いただけで札幌がすでに国際的に通用する豊かな大都市になったかのように看做している道民がいまだに少なくないが、そのような人々は、例えばミュンヘン市内からガルミッシュ・パルテンキルヘンまでの地域を時間をかけて見て回れば、彼我の歴然たる差を知ることになるだろう。札幌にアルテ・ピナコテークはあるか。
 最近の道内では、本州等を指す「内地」という言い方は以前ほどは聞かれなくなっている。それにも関わらず、海峡以南の日本主要部から見れば、北海道は厳然として「半外地」のままに留まり続けているのである。北米の過去の歴史に範を取れば、実態は準州に過ぎないものが、2名の上院議員を連邦議会に送る資格を得た正式の州であるかの扱いを恩恵的に受けているのに過ぎない。
 ひょっとすると、北海道に「藩校」がなかったのが、現在に至るまで道民の精神的なアイデンティティの確立に悪影響を及ぼし続けているのかも知れない。某大手企業のショールームがいったん札幌に出店していながら撤退したままなのはなぜかを考えてみたらいい。『日本経済新聞』も札幌では夕刊が発行されていないため、転勤族は驚くのである。すると、外国語の専門家が生存の当てにしなければならないパトロンは民間セクターにはまず見つからない。
 ドイツ語ガイドの仕事は時たま依頼されている。たいてい断ると後で差し障りのある筋からの話である。そのため、病院からその都度許可を得て年に数回は引き受けている。事務長や婦長さんから嫌みを言われることもある。ドイツ語圏の人間はいずれも論理と法秩序と規律を重んじるため(Ordnung muss sein )、個人客であれ、団体客であれ、理性的に対処できる。また、ドイツ語を母語としない東欧、さらにはロシアを始め旧ソ連圏の人間でも、年配者は若いころ学習する機会に恵まれなかった英語ではなく、これに準ずる身近で有力な国際語としてのドイツ語に頼るほかない場合も少なくないらしく、ドイツから遠距離にある意外な国ないし地方からやってくるお客さんに、自分のドイツ語がどの程度伝わっているのか反応を確かめながら解説をすることがある。
 ちなみに、あなたのドイツ語にはハンブルク訛りがあるだとか(これは20歳の時にドイツ語に堪能なドイツ系アメリカ人から言われた)、どこにもない人工的な響きのドイツ語を話している、と論評されたことがあるが(これは 確か22歳のころだが、どこの国のどんな人物から言われたかは思い出せない)、外国人としては致し方ない。日本人としては、あくまでも標準ドイツ語を話すしかないのである。辞典でもインターネットでも見当たらない珍しい方言を耳にすることもあり、できれば、この表現はSchwabenの老医師から教えてもらった、などと各地方の単語帳を作りたいのだが、そんな余裕はない。聴いてからしばらくすると忘れて行くだけである。もったいなくて、せっかく両手に掬った砂金が、手をすり抜けて風に消えて行く感じがする。
「あ、あ」
 
第91章 外国語で生きられないか(後半)https://note.com/kayatan555/n/n2bf6cfbf63cd に続く。(全175章まであります)。

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