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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第208回 第174章 海辺から自宅マントルピースでの焚き火へ

 硯海岸はまた焚き火海岸でもあった。あのボクらの海辺まで流されてきて打ち上げられた流木を何百回となく集めては燃やした。同じ形の流木もひとつもなかった。流木は英語ではdriftwoodというので、ボクらは差し詰めdriftersだったのだ(頭洗えよ)。 
 今夜は所属学会の総会開催に合わせて久し振りに北海道にやってきた数人の元部員たちを交えて我が家で酒盛りを開くのだ。Chariots of Fireという英国のエリートの若者たちが砂浜を駈けて行く場面の印象的な映画があった。大学キャンパス内のヨット部部室で、天井から吊り下げたプロジェクター、英語で俗にいうbeamerで壁に映してこのビデオを見た。邦題は『炎のランナー』である。あのテーマ曲はドライブデートをするときによく思い出した。車内では複数の同乗者たちといろいろな曲を聴いたものである。Different driving mates, different favorite songs. 
 アホ面して炎を見るのが好きな奴らのために、居間のマントルピースに薪を井形に組んで火を熾しておこう。一瞬、正倉院や横浜港を思い出す。セシリアがボクが仰向けに寝ているときを狙って、ボクの口と鼻の周りにクサヤを積んでいるかどうかは確かめようがないが、トイレの夢を見ているときは怪しいと言えば怪しいな。正倉院は檜でできているので、防虫効果に優れている。丸まった白樺の樹皮と乾燥させた花弁・花托付きのバラの剪定枝を焚き付けに使い、表面に月の光をレンズで集めて点火する。こうすると、鋭い棘を燃やしてしまって安全に処理することができる。薪の灰は庭に埋めて自然界に戻すのだ。このイングランドの貴族の館から移設した暖房装置は、セシリアに弱いおとーさんから結婚祝いに費用を出してもらって設置して毎年使ってきたものである。火掻き棒を使っても特に恐怖心は起きてこない。炉の奥や横には、うちの3人の子どもたちがチョークで描いた人気マンガのキャラクターたちの落書きが煤けて残っている。「ぱぱのばか〜」の隣には誰かに消された跡のような汚れが見える。
 眉や鼻の周りが白っぽくなってきたころに寺から引き取ったSchoki=鍾馗は、子犬のころは雪を見ると飛び上がってはしゃいでいたものだが、次第に寒がりになってしまったため、普段から背中に60+(フランス語読みだとsoixante plus、ソワサーント・プリュス)と書かれた赤いちゃんちゃんこを着せている。真冬は炎をじっと見詰めている。メガネの後ろ姿に苦悩の影が見える。
「このトシで火遊びをしていていいものだろうか」
 元々番犬としてもらってきたイヌなので、高齢になっても動きが機敏だった。うちの江別産煉瓦の間の壁には厚さ2mmの大画面のスクリーンを設置してあり、テレビ番組だけでなく映画やその他の映像を見るのに使っている。この好奇心も強かった褐色犬は大学応援団シリーズが気に入ったらしく、いつ洗濯したのか不明なワカメのような衣裳をまとった某大学の応援団長とその団員たちが、「ピッ、ピッ、ピッ」と笛を鳴らしながら扇子を操る場面になると、後ろ脚で立ち上がっては耳を立て、舌を出し、周囲に無警戒でその動きを前足で追うようになった。もう夢中である。 
 火の暖かさを知ったため、ボクがマントルピースを使い始めると、その音にすぐに耳を動かし、普段食事後至福の表情でうつらうつらしている他の部屋の低い位置にぶら下げてあるハンモックからもんどり打って床に落ちて頭を打ち(「ああ、痛え」)、使命感に満ちた表情で尻尾でリズムを取りながら居間に入ってきて、自分の定位置に置いてあるセシリアの作ったラグの上に座り込んでは目を細めるのだ。
「ああ、極ラグ、極ラグ」
 何年も一緒に暮らしているので、この家族の言いたいことは想像できる。ほら、もうすぐサングラスをかけて立ち上がるぞ。ピッ。
「浄もこっち来いやー。おいもこう見えて応援団やからね。舐めンなよ。羞恥心なんか忘れろよな。扇子を両手に持てよ。構えてー、われらがー母校のー勝利のーためにーっ。三ー三ー七ー拍ー子ー! 尻尾を力一杯振れ(尻尾生えてないんですけど)。ほーれっ、ピッ、ピッ、ピッ(シュッ、シュッ、シュッ)」
 引き取るのは、もう少し遅らせておいても良かったのかも知れない。

次回は最終章の第175章です。  https://note.com/kayatan555/n/n5658007c3bda (全175章まであります)。

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