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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第30回 第25章 大コケの卒業式パフォーマンス

 2年生の時、女の英語の先生が、大学の先生たちから英語教授法研究の一環として頼まれて、高校生の英作文を募集する地区担当者を務めていた。ボクのも何回か採用されたのだが、その校内ポスターに出ていた「お題」を知らせる決まり文句は「次のテーマは〜よ!」だった。例えば、「次のテーマは赤点よ!」「次のテーマは早弁よ!」「校則違反よ!」「お白洲よ!」「お仕置きよ!」という具合に使われた。このキャッチフレーズが、ひところ「次の物理は仏滅よ!」という風に流行っていた。
 この先生は全国で実に17社もの放送局のアナウンサー試験すべてに落ちて高校の先生になっていた。就職活動用の靴やスーツが擦り切れたのではないだろうか。大学入学直後から、全国ネットの著名アナウンサーを何人も輩出していた部員数120名を超える放送研究会に入り、テレビ局受験用の予備校にも通う対策を取り続けたのだが、いかんせん、競争率が高すぎたのだった。
 こうした経歴から、着任と同時に放送部の顧問を任されることになったのだが、数年後、担任をしていた、元カレに似た、ちょっとタイプの男子生徒から、顧問の先生が全然やる気がないみたいなんです、と頼み込まれて併任で鉄道部の副顧問も引き受けることになった。部室に置かれていた鉄道雑誌のバックナンバーを見たり、橋梁通過場面の撮影合宿などに付き合わされているうちに、次第に鉄道ファンになってしまい(のめり込み鉄)、どこかの駅長の制帽を被って授業に来るようになった。大地震対策と趣味を兼ねて収集しているマスコットの懐中電灯付こけしを教卓に置いて、授業の始めに、「出発進行、シュッポッポー!」と宣言する始末であった。耳から蒸気が出ていたわけではない。
 その先生ひとりだけが入っている英語第3準備室は、この先生が国内だけでなく、ヨーロッパやインドや東南アジア各地を旅行して歩いては買い集めた鉄道グッズを陳列していたので、鉄子の部屋と呼ばれるようになっていった。元素周期表を暗記するときに、原子番号がそれぞれ26と27で隣り合っている鉄(Fe)とコバルト(Co)を、この「鉄子」と覚える学習者が多いのではないだろうか。
 そこで、ボクらの卒業と同時にオホーツク海沿岸の高校に防人、いや、教頭として赴任することになったこの鉄子先生に最後に会う卒業式で喜んでもらおうと、「テーマ」を「停車」に変えて、「次の停車は〜よ!」と、ボクらが通学に使っている駅のどれかの名前を入れてみることにした。しかし、「あかてん」も「はやべん」も4文字で言いやすいのに、ボクは幌平橋駅まで地下鉄で通っていて、そのHorohirabashiでは長すぎて語呂が悪かったし、広い庭のある和風の屋敷で父親の鼻息を窺っていた奴は徒歩・競歩通学だったため、体育館の舞台で高校生活の最後に颯爽と決めるつもりの台詞の一部は、桑園か、もう一人の利用駅の二つから選ぶしかなかった。海に近い手稲区の団地から札幌駅で南北線に乗り換えて来ていたこの一人とはボクは地下鉄車内で何度も一緒になってはお喋りをしていた仲だった。そこで、パンヤの件がありながら、別に頼まれてもいなかったのに、謙譲の精神から何とはなしに決め台詞には桑園の名前を入れてやろうという話になっていった。お人好しの極みの無駄な配慮であった。
 ジャージに着替えて校舎4階の廊下突き当たりのところでリハーサルをした。衣装は脆そうだったので、当日まで袖と股を通さないことになった。一発勝負である。どこまでも杜撰で愚かな俺たちであった。
 パンストを穿いたのは生まれて初めての経験だった。男子生徒がこんなものを買おうとするときに、レジでどういう目付きで見られるかは誰でも想像できるだろう(レジ係が運良く男性の場合を除く)。ボクの前に立っていた友だちが、問われてもいないのにレジ係の店員にこう言った。
「これ、変な目的で使うんじゃないんです。銀行強盗に入るだけですから」
 また、100円ショップで化粧品までいくつか買ってメイクの練習もした。女の子だと幼稚園のころから母親の化粧台の前で、こっそり、または公然と、あるいはさらに傲然と、化粧ごっこを始める例もあるのだろう。
「ねーねー、みてえ、わたしってままよりちれい?」
(まあ、可愛くないわねえ。北海道弁では「めんこくない」という)。
 だが、ボクらにはそんな趣味はなかったため、始めてみた途端にお互いの顔を見合って噴き出したのである。
「お前らブスだな」
「うるへー。蝦蛄(シャコ)パーンチ!」
 卒業式当日、サプライズゲストが来た。知事である。本校の卒業生である。海外出張から前日帰札(札幌に戻ること)したばかりであったので、誰も来学は予想もしていなかった。セキュリティ対策もあって、道の知事室からこの来訪を密かに知らされていたのは校長、教頭と事務長だけだった。ところが、さらに、それどころではない番狂わせが待っていた。
 前夜までに方針を親に切り崩されたのか、当日、ボク以外の3人のうち2人までが、しれーっと裏切ってそれぞれ別の格好をしてきたのである。土壇場でデザインを変えさせた謀略男だけでなく、もうひとりのエリートの息子もである。片方はごくオーソドックスなスーツで、高そうなネクタイをして、髪にオレンジ色のメッシュを入れており、もう片方はフェイクではなく本革に見えるジャケット、パンツ姿で、バイクでツーリングに出かけるような出で立ちで、十字型でレンズに横縞の入ったサングラスをかけていた。このどちらも目も合わせないのだ。
 そもそもこの親友と思っていた2人が言い出したから付き合ってやったのに、何だよ、そうやって人を騙して出世して行くつもりか。どーすんだよ、この衣装の余計な膨らみ。式はもうすぐ始まるんだぞ。今さら切り取る訳に行かないだろう。はさみもないし。そうやって、転勤ごとに「現地」の跡を汚して、東京であれ札幌であれ他のどこの街であれ、自分の住みたい場所に螺旋的に凱旋を繰り返す魂胆か。もう絶交だからな、お前ら。お仕置きの相手がこいつらになってしまったぜ。
 まるで友人からスターのオーディションに誘われて、のこのこ出かけていった冷やかし組の方が思いもかけず入賞して、誘った当人は落選して消えてしまうのにも少し似た結末となってしまった。
 結果、憮然とした私と律儀なもうひとりだけが生徒全員、保護者、校長、教職員、来賓の目の前で薄いぺらぺらの衣装で晒し者にされることになった。それも、捜し物が見つかってである。会場の体育館には、なんのこれしき、ハイカラさん姿の女生徒たちも何人もいたんだからー。ボクの名前が呼ばれ、壇上に上がった。腿が肌寒かった。この時点ですでに会場には失笑が漏れている。校長はポーカーフェイスである。思わず中学の時の教頭を思い出した。あのジンベイザメ・スポーツカーはよく目立っていた。白のドットは、キュウリの輪切りにマヨネーズを少し付けるように、自分でペンキを塗っていたのではないだろうか。
「あ、本物のマヨネーズ使っちゃった」
 次に名前が呼ばれた裏切らなかった方の友人もボクの横に並んで、一緒に生徒たちの座っている方を振り向いて、せーので決め台詞を言いながら決めポーズを取った。台詞の中の駅名を桑園から別のに置き換えてである。その瞬間、この友人は「あっ」と大声を出したのである。股間を手で押さえようとしたのだが、今度は「痛っ」と叫んだ。複数のテレビ局のカメラがそれぞれアングルを変え、ズームインする。会場は無礼にも遠慮なしの大笑いになった。校長まで上半身を揺すって笑い、メガネが外れ落ちそうになった。教頭は身に染みついた慎重さで、その半分ぐらいの動きに留めていた。昇格まであと一息なのだろう。ボクはしゃがみ込んでみると、パンヤを盛った場所から縫い針が露出していた。こんなところにあったのねえ。見えたのは先端部である。逆の方向でなくてまだしも運が良かった。裏切り男がこの衣装に針が飛び出す仕掛けをしていたのか、単に受験で一時的に視力が落ちていたのかは分からない。でも、大怪我になる危険があったことは確かだ。デザインの突然の変更までは、いちいち針やはさみやその他の用具を点検しながら安全を確保していたので、縫い針紛失事件の責任は100%あいつのごり押しにあった。
 思い出すだけで腹が立つ。この被害を受けた生徒も生活の苦しい家庭出身者だったのだ。家計を助けるために、上京の夢を諦め、地元の唯一の国立総合大学である北大を受けていた。卒業式の数日後、無事現役合格を果たした。おめでとう、恥を忍んでボクとの信義を守ってくれたキミに栄光あれ。キミはボクの一生の親友になった。
 このボクらのあたふたした様子の一部始終はテレビカメラに撮影されていた。しかもその日の夜のテレビニュースでその場面を全道に放映されてしまうという惨憺たる最後で高校生活を終えたのであった。
「札幌地方、明日は6度も気温が上がるとの予報でした。春が近いですね。フキノトウやクロッカスが芽を出すのも遠からじ、といったところでしょうか。それでは、先ほどの針のむしろの猿蓑、いや腰蓑、もとい、寸足らずのスカート姿のおふたり、お幸せに。また寒くなったら股引よ」
 式が終わって、抜き足差し足でお寺の家に帰ると、ボクの学校でのあまりの無様さに、食卓では母も祖父も黙ったままだった。何か言われるより、かえって怖かった。祖父はこの日、お寺の鐘を鳴らさずに、撞木を寸止めにした。本当はボクの頭を鐘と撞木の間に挟んで何度も餅つきの杵のように往復させて、ほとんど消音の鈍い音を立てたかったに違いない。ボクらの晴れの席での大失態が全国放送の電波にも乗せられたのか否かまでは、当時考えもしていなかった。
 しかし、鉄子先生は、「高校生男子って良いわ、若いわ、うふふのふ。わたしアナウンサーにはなれなかったけど、職業選択結局正しかったのね」と大ウケだったそうだ。先生、意図していたような謝礼とはなむけのパーフォーマンスにはなりませんでしたが、お元気で。あの裏切り者の2匹は、神話みたいに身ぐるみ剥いでムニエルにして、瞳に100万ボルトの雷(いかずち)の天罰を下して、大学進学なんかさせずにきっと今月中に超法規的措置で網走に送ってやります。先生のご勤務校に近いので、時々面会に行ってやってください。

第26章 上京前に昆布でお礼 https://note.com/kayatan555/n/n13dfc380b32c に続く。(全175章まであります)。

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