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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第8回 第6章 黒澤外国語大学へ

 今日の外気温はマイナス9度程度である。道場に暖房設備はあるが、この稽古始めの日だけは使わないしきたりである。寒さがぴりっとして気分が引き締まる。私は我が一念を通さんとばかりに半紙に向かって墨を磨る。通った2つの小学校の教室や廊下の思い出が蘇ってくる。その時の硯がここにある。筆を持つ機会は年に一度しかない。18歳の私は目を閉じて墨の匂いを鼻腔に充満させ、精神を集中させてから、唯一志望校の名前を一思いに書いた。
 黒 澤 外 国 語 大 学
 他に一文字も書き足す必要はなかった。私は受験戦士である。もうすぐ自らが火だるまの矢尻(のわたし)になって標的に飛んで行く。勝つことだけが、合格することだけが許されているのだ。この書き初めは母が細長いガラスの額に入れて玄関内の正面に掲げた。心の中では、数年後にもうひとつの額を横に並べる積もりだったのだろう。家族全員が毎朝毎晩息を呑んでこの7文字を見詰めてカウントダウンをしていった。2桁の数字は、やがて崖っぷちに達し1桁に突入する。時間よ止まれ、停まってくれ、お泊まりやす。お客様、クーポンお持ちですか。
 家族に難関校を受験する人間が一人でもいると、まともな家庭であれば家族全員がその思いを秘めた企図に巻き込まれざるを得ない。数人の子がいれば、主役が入れ替わりながら、例えば8年にも渡ってそのような緊迫した日々が続くことになる。その一家全員にとって、その期間は一瞬一瞬が辛くて苦しいが、しかし、後から振り返れば、その同じ幾星霜こそがその家族構成員それぞれにおける人生の華、ひたむきな沈黙の賛歌の日々になっていたはずなのだ。
 地元の北海道大学では農学校以来数多の寮歌が作られてきた。その中の大正9年桜星会歌に「瓔珞みがく」という曲がある。その一部を抜粋紹介する。

佐藤一雄君 作歌
置塩奇君 作曲

   想を秘めし若人が
   唇かたくほほゑみつ
   仰げば高く聳え立つ
   羊蹄山に雪潔し

(東京まで南下して外語大に入ろうとするんじゃなくて、うちから地下鉄で通える北大の受験に切り替えるかな? 夏なら一輪車でも行けるし)。
 気温はさらに低くなっていった。この国の大学受験は、零下20度は序の口で、30度以下になる地方もある北海道の人間にとっては、最も不利で過酷な気象条件の時期に行われる。9月に新学期の始まる多くの諸国との相互協力や留学にも差し支えている。
 つきたての餅を食べ過ぎた剣道少年、剣道少女たちは笑顔でお辞儀をしてお喋りをしながら帰宅して行き、正月が過ぎ、固くなった餅もいつの間にかなくなり(「あれ、誰が食べちゃったの?」「しーらないもん」)、旧正月の外国人客も各地にどっと溢れ、並行して新幹線や飛行機の乗客に受験生が目立って増えていった。

第7章 上京受験 https://note.com/kayatan555/n/n6d226a547f72 に続く。(全175章まであります)。

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