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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第65回 第53章 どうするこの惨状

「おーい、頼むー、痛いー、助けてくれー、頭に血が上るー」
 ボクの部屋には前後の壁に外窓がある。叫び声がしたのは、この後ろの窓の方からである。ボクの横で手伝っていなければならなかったあいつ(もうこう言っちゃうもんね。もっときつい言葉が頭の中にあったけど、一応礼儀正しく抑えておきませうね)が何かやらかしたらしい。仕方がないので、床にしゃがみ込んでの介抱は一時中断して立ち上がり、声の方に走っていった。すると、窓の外に脚が上下逆さまになってじたばたしているのが見えるではないか。突然現れたシュールな光景であった。高橋由一の鮭を吊した絵を思い出した。
 このアパートの壁の定期点検修理が始まっていて、前後2回に分けて作業が入ります、との管理会社からの日英両語での通知書が先週ポストに入れられていた。第1回分として、建物の裏側に足場が組まれ、屋上から牛の鼻輪のような管理用鉄輪に引っ掛けたロープが数本、身長2.5メートルでも地面からは手が届かない高さまでぶら下げられたままその日の作業は終わっていた。
 ボクは、床には酔っ払い、窓の外にはそそっかしいぶら下がり男、と二正面作戦を強いられたのだが、一度に両方は対処できなかったので、優先度を判断する必要があった。愛媛県出身の方は、破滅的に酒癖の悪い子であることが判明してはいたが、それでも反吐を誤嚥(すいません、こんな尾籠な話題で)する危険まではなさそうだったので、ターザンになれなかった男子学生の方を先に救援することにした。だが、事態があまりにも馬鹿馬鹿しかったので、特に急がずに冷蔵庫から台湾産シークヮーサー入りパイナップルジュースを出して半分ほど飲んだ。片手は腰に当てて半分akimbo. 口腔内を南の風が吹き抜けて行く。
「うまいねえ」
 それでは戦闘開始! どれどれ。
 男は左脚と両腕を動かし続けていた。蜘蛛の巣の上のカナブンか何かに見えた。
 これはボクが外に出るしかないでしょう。出ないまま足でこの男を外向きに蹴ってしまうと、戻ってくる体で窓が割られてしまうかも知れなかった。体の左右幅広く盛り上がりつつある生き物のような波に乗ってサーフボードの上に立ち上がろうとする姿勢でそっと幅の狭い鋼板の上に移り、縦の金属パイプを両手で交互に握って体重を支えながら一段下の横板に足を乗せた。さあてと、どうしたらいい、こいつ? そいつの頭は上下2段の横板の間の中途半端な位置にあった。片腕だけでは充分な上向きの力を出せないだろうが、両腕でこの男を斜め上に押し上げようとして手が滑ったら、ボクはその瞬間に万歳の姿勢で落下してしまう。誰も突然モモンガに変身することはできないのだ。
 万歳と言えば、昔まだ家庭にあまり電話が普及していなかった時代に、東京でエンゲル係数が高過ぎ、さらに追加で小雨程度の負担が増えただけで比喩での溺死に追い込まれそうな学生暮らしをしている息子が、切迫している用件を実家に伝えるために考えられる範囲内で最短の文字数にして料金を抑えたらしい電報を送ったときの、「オヤジバン ザイカネオ  クレ」という文面をどこかで読んだことがあった。変な切り方であるが、父親を称賛しての万歳ではない。いよいよ金に困って万策尽きた、という意味だ。
 そうだ、消防署を呼ぼうか、とも一瞬考えたが、そんな問題を起こしてしまったらボクが管理責任を問われてアパートから高額の違約金を取られて追い出されかねなかった。だから、仕方なく、自分自身の体を支えるために片方の手で金属棒を握り続けながら、ボクの頭と片方の肩に挟む形でこの学生の頭を押さえつけてゆっくりと上に上げていった。重量挙げである。だが、不自然な姿勢で力を出しにくく、二度失敗して奴の頭が滑って外れ、その度にその頭がお寺の鐘に激突するように金属柱にぶつかった。
「ゴーン」
 体自体が撞木になっていたのである。
「痛いー」
 やり直し。んー、重いー。ずるっ。
「ゴーン」
「痛いーー」
「あ、わりい、わりい。でもキミ重たいね。いったい何キロぐらいあるの?」
「体重なんて何キロだっていいだろう。ともかく起こしてくれ、頼む」
(0.1豚近くはあるなこれ)。
 沈黙の上下の屈伸運動のような重量挙げ試技は続き、本人もボクに協力して全身の筋肉、骨、腱を総動員してくれたおかげで、ついにボクはこの生きている肉体を、運慶、快慶のような憤怒の表情で全力で押し上げ、自分の階の横板上に横たえることができた。
「ひーひー、ぜーぜー」
「ああ、良かった」
(この瞬間、一切の救援はせずに、むしろ何も聞かず、何も見なかったふりをして窓を閉め、そのまま翌日の工事業者の到来を待っても良かったのではないかと気付いたが、目の前の生命の危機はやはり放っておく訳には行かなかったのだ。夜半に雨になったら、鼻の穴に水が溜まって呼吸困難になっただろう)。
 ふたりとも腹筋が決め手となった。肩と首の筋肉の凝りはこの後1週間経っても取れなかった。表面が粗くて重たいロープを緩めて外すと、太股の膝近くに擦過傷とロープの模様が食い込んで見えた。岡本太郎の着目した縄文土器を思わせる文様であった。

第54章 ロープ事故の原因 https://note.com/kayatan555/n/n1dd527e11c8f に続く。(全175章まであります)。

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