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(全文無料)それは低い孤高

マガジン「積立草稿」・シリーズ「つぎの低い孤高」(1)

2年ぐらい前に、ラショウさんと『すこし低い孤高』という本を作った。さまざまな他人の目線や社会からの圧、環境がすすめてくるハイテンションな競争や焦り。そういうものからちょっと多めの距離をとる生活態度「すこし低い孤高」について書いた本だ。いわゆる「500年に1度の天才」や「世捨て人」「仙人」みたいなものではなく、ずば抜けた能力がなくても誰でも「低い孤高の人」になれる可能性が高い。そういう考え方の紹介をした本。似た考え方はあるだろうから、もうすでにそういう状態の人や、そういう人生を終えた過去の人もたくさんいる。

そもそも、プライバシーや個人の生活が大切にされていたり、同調圧力が低かったり、平均的な自尊心が高い、そんな集団では多くの人が勝手に・自動的に・無意識に低い孤高状態となっている。学生であろうと会社員であろうと、十人十色にそれぞれが自由に好奇心を持ち、自分の時間を好きに過ごす。画一的な流行や常識がなく、「大勢がこれをやってるから気になる」「大多数がこうやってるから気になる」とかそういうことも比較的弱い。しかし、そうでない環境も世の中には多い。

僕は10代を過ごした環境が好きではなかった。あまり風通しが良くなくて、あまり多様性が高くなくて、あまり視野が広く持てない環境だと思っていたので、もっとのびのびできるように環境から変える必要を感じていた。憧れる人や「こんなふうになりたい」と思う人のエッセイやインタビューなんかを読むと、小さい頃から良い感じの人や出来事や物に恵まれたエピソードを見ることが多かったので、みじめな気持ちになることもあった。今考えれば、田舎の子どもまでもが読むような超有名な活躍をした人は世の中のほんの一部の特殊な例だし、そういう過去を持つ人が多くても不思議じゃない。でも当時はそんなことあんまり分からないので、うーんと唸るしかなかった。

それでもその時、「恵まれたか恵まれなかったか」を考えさせられるよりも、今からでも小さくても、自分に何か恵みになるようなものを与えてやりたいという気持ちを持てていた。若かったので、それがきっかけで人生が好転していくかもしれないという願いや欲望もあったけど、一番の動機は「自分は自分以外にはなれないので、せっかくなら自分らしく自分の感覚で生きていきたい」というものだった。それは安易な発想だけど根本的なものだし、強く行動に表していかないと存分には叶えられないものかもしれない。

僕は高校を出て、親と住んでいた家を出る頃にはインターネットも使えていたので、「世代を問わず尊敬できて繋がりたいと思える人と時々やり取りができる」という状態もわずかながら作れていた。それによって孤立しすぎずに済んだ。

10代の僕にとっては、住んでいる土地や家の作り出している雰囲気や文化が「距離をとろうと思った社会」で、自分が作ったホームページが「低い孤高」だった。「高さほぼゼロの孤高」だったが、それでも見つけて遊びに来てくれた人とテキストでやり取りしたりして、興味深い考え方や情報に触れることができた。また、住んでいる土地の同じ学校の中にもホームページに興味を持ってくれる人がいたので心強かった。それから大学に行ったり会社勤めをして、感覚が狂ってしまったり、うまくいかない時もあったけど、「低い孤高」的な手法に頼って自分を見失わずにこれた気がする。

無理なく好きなペースで人と交流し、「あの人の紹介してくれた音楽や本だから」という感じで信頼して、自分の興味や視界を広げていくこともできた。学校・家庭・地域という3つしかグループを持っていなくて、1つ1つが大きかった(過ごす時間が多かったり関係性が強い)ので、そこに1つインターネットが加わるだけでずいぶん世界観が変わった。ホームページは一週間更新しなくても誰も心配してこないし、自分が1人の独立した存在であることを自覚できた。学校や家庭や地域などについても「こういう集団に属している、こういう私」ではなく、「こういう私が、こういう集団に属している」という順番に把握するようになった。

結局、低い孤高的な考え方を長年持っていて、具体的に何ができたか。誰にでも分かりやすい部分から紹介すると、まず、「多数派と違うことをする不安や恐怖が少なくなる」ことが大きい。それは麻酔みたいに少なくなるのではなくて、逆だ。まやかしで大きく見える不安や恐怖が、正しい大きさに見える。たとえば何かを選ぶ時に、金額や期間や自分の意志など、合理的な材料で判断ができる。判断を自分でやっていれば、何かを行動して失敗しても、判断のどこが間違っていたかが分かる。そういう意味では低い孤高はDIYの側面が強い。できるだけ1から自分で計画を立てて、やってみる。できるだけ自分で調べて、自分で考える。それは面倒くさいかもしれないけど、ちょっとできるだけでとても愛着が湧いて、充足感が得られる。だから、低くても誇り高い。丈夫な造りになっている。

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