ハラスメントやいじめ

ドイツ語が得意でない知人が、職場でセクハラに遭い、それを解決するために僕もすこし手伝えることを手伝ったりしていた。時間がかかったけど、職場がまともな方向で動いた。

僕は翻訳をすこし手伝ったり、どんな相談窓口や組織があるか、それらはどういう説明やガイドラインを書いているかを一部調べたりするぐらいしかできなかった。また、このことについてこういう場所に書くことも助けになると知人は言って、僕も僕なりに書こうと思っていたので書いた。興味を持ってくれる人がいてくれたら嬉しい。

加害者・被害者どちらでもない人も、当事者だ。クラスや職場にハラスメントやいじめが「起こる」=「未然に防げなかった」ことは、その組織や、その組織がある社会や世界全体の問題だ。環境の不備、教育の不備、色々。今回僕が知った件も、未然に防げたと思えるものだった。

社会というものの性質を考えても、やっぱり、誰かが傷ついてしまったら周りの人が助け合うとよい。傷つきながら次に向かって何か取り組むのは、それだけでまず負担が大きい。ハラスメントやいじめの被害は、その集団の中にある不備が表面化して起こってしまったことであり、その問題をみんなで知って解決させることは、誰にとってもいい。問題を改善させることによって、将来自分が加害者になる可能性を低くさせることができるかもしれないし、身近な人が将来加害者や被害者になってしまうことを防げるかもしれない。「自分が傷つけられるかもしれない」という可能性を感じて生きなければならない人が、自衛にかけざるをえない負担を減らしたり、そのせいで制限されている選択肢や集中力を一部取り戻せるかもしれない。


よく、僕が違和感を覚える言葉に「今の時代、これをやったら怒られる」とか「じゃあこれはどうなんだ」みたいなものがある。ハラスメントやいじめは、「セーフかアウトかギリギリを探るゲーム」ではない。

様々な立場で様々な生き方をしている人たちがいて、自分がそのほとんどの人たちと無縁であっても、自分の1つ1つの行動や選択は、そういった他人たちの生き方に影響がある。相互に影響がある。誰かが学校や会社でハラスメントやいじめに遭わないことは、全ての件において、誰にとっても必ずいい。誰もがそのために力になれるし、求められている。

身近な集団でルールやガイドラインを形成する力がある人たちはまともさを実現させるために動いて、その他の人を含む全員で守ろう。

(おわりです)