ターミネーター

ターミネーターの新しい映画ができるたび、本当に幸せな気持ちになる。

ターミネーター 1984年
ターミネーター2 1991年 1のつづき
ターミネーター3 2003年 2のつづき(後に否定される)
ターミネーター4 2009年 3のつづき
ターミネータージェネシス 2015年 リブート


そして2019年
ターミネーター:ニュー・フェイト(Terminator: Dark Fate) 2のつづき!

僕はこれをみて、すべてを受け入れる。どこが変だと思っても、どのターミネーターと矛盾してても、新しいターミネーターは最高だ。

理由はこまかく分からないが、ターミネーターの続編はどうやっても難しい。ターミネーターの新作映画が繰り返し繰り返し、苦しいリブートもありながら作られるということ自体が、未来との戦いなんだ。

みたことある人はしってると思うけど、ターミネーターは、最初の「1」でほとんどのお話のループが閉じている。2029年の未来に、機械と人類の戦争が起こっていて、人間軍の指揮はジョン・コナーという人がやってた。機械軍の指揮は「スカイネット」というシステムが行っていて(濁点のないスカイネットという名前が本当に良いな)、こいつが暗殺者を過去に送って、ジョン・コナーの母親サラ・コナーを殺して、ジョン・コナーを歴史から消そうとする。実は人間軍もカイルという軍曹を送っていて、サラを護衛する。カイルは死ぬけど、ジョンの父親になっていた…という、古典落語の映像化だ。

3とか他のやつは、そのあとどうなったかとか、もっと未来からもっと暗殺が来るとか、未来の戦争はすごいとか、そういうことを描いていて、別に全部の作品が繋がってるわけではない。だけどそのぐちゃぐちゃしてくる感じこそが、人間の戦いという感じがして、とても勇気をもらえる。

ターミネーターの話はサラ・コナーとスカイネットの存在がずば抜けて大きい。これは人間の人生においても完全に同じで、希望と絶望が究極対立していて、どちらかがどちらかを食い尽くさないように、最終的に決まっている死(ターミネーション)まで自分の生命を送り届けるという格闘になっている。千鳥足の酔っぱらい(人類)が、右の壁ににも左の壁にもぶつからずに最後(審判の日)まで行ければいいって感じだ。

ロボットとか液体金属とか爆発とかは、「倒せるサイズに分割した絶望」であり、人生も同じだ。最初から避けられない死が決まっていて、生きてると絶望が色んな方向に育ったりする。それをせっせと崩しては消し、先回りして消し、やっていく。ときどき大胆な動きをして、絶望の根本に迫ろうとしたり、逆に自分の希望の根本が崩れそうになりながら。

だから僕は今回の「リブート3部作を始めたあとに、やめて、また2の続編からブランチさせる」という動きに、めちゃくちゃ感動している。ターミネーターというシリーズが、残存リソースを見ながらゲロ吐きながら狼狽え、それでも愛されようと格闘する。絶望でも希望でもなく、この格闘(もがき)という行程そのものが生であると、僕は強く勇気づけられる。

実際、僕は今までどのターミネーターも、みた時に「いい!」と思った。