見出し画像

ポストアポカリプス気味な生活

もう多くの人が気づいているかもしれないが、すでに我々の一部は、ポストアポカリプスな生活をやっている。

たとえばパリッコ・スズキナオ両氏による「チェアリング」は、アウトドア用の手軽なイスを持ち歩き、「良いな」と思ったところで食べたり飲んだりくつろいだりするアクティビティだ。

たとえば高野政所・メテオ両氏による「ストリートテクニック」は、街のいたるところに存在する「こうやって使える」を見つけ出して実践+名付けしていくアクティビティ。

どちらも街や生活環境を無料または安価にクローリングし、埋もれた価値を発掘したり新しい価値を定義していく。「安全な場所を探す」「使い方を考える」、こういうことは、何かが崩壊したり新しい舞台に移ったときに最も必要になるスキルであり、仮に彼らがそういう方向に楽しさや深みを感じているとすれば偶然ではないと思う。

数十年上がらない物価、大震災、超高齢化、インフラの老朽化、そういう多面的な現象を総合すると、これからではなくて今すでに日本は十分ポストアポカリプス(崩壊後)だと言える状況だ。それでいて僕らの多くは、下降するエレベーターに乗ってる時みたいに「これからもっと悪くなる」加速度も感じている。安全やリラックスや有用や楽しさを、お金なしに、あるいはお金を出しても手に入らない状況でも自分たちでサーチ・構築していく力が、幸せを基礎づけてくれる。

そしてそれら1つ1つのアイデアは、お金に困ってるあの人、仕事のないあの人、調子の悪いあの人、新しい土地で苦労しているあの人、何不自由ないように見えるが実は助けが必要なあの人…誰にでもみんなに、ハードル低くシェアしていくことができるオープンソース・ソフトウェアでもある。

チェアリングは、地価の高騰にともなって細かい区画までもが商用転用され、土地のすべてが販売・消費に活かされつつある都市に、どれだけまだ余白があるかを探索する行為でもある。ホームレスが眠れないように邪悪な工夫が凝らされた広場やベンチ、死角なく配置された監視カメラ、テロ対策という名目で撤去されるゴミ箱、無言で築かれていく自己責任型環境への抵抗にもなりうる。

ストリートテクニックもそうだ。時にはデパートや店舗の過剰とも言える照明を利用して読書したり、商業施設や広告によって失われてしまった公共を改めて公共にひっくり返す逆転術もやってたりする。些細でギャグっぽいが、実はこれこそが正当防衛だったりする。今自分たちが住んでいる社会では毎日、ATMが巧妙に手数料を設計したり、公的なデータが故意に誤魔化されたり、検索した言葉に反応して広告が出たり、細かくてセコいことが全身にぶつかってくる。

生活を改造していく活動には、小さくても新しい苗木を育てていく精神が見える。しぼみ続ける旧来リソースの残りを取り争うバトルに参加するのではなく。しかも、180度新しい革新に向くのではなく、今までの文明社会の生活を保ったまま、ソフトに生き方を切り替えていくやり方だ。

ところで、僕はまだスズキナオさんの『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』が読めていない。誰か買ったら貸してくれ。

(おわり)

それともかなり関連性があるトークのイベント
香山哲×METEOR
「ベルリンでも東京でも、僕らは何もしていない!」
2020/01/12 下北沢 本屋B&B
1ドリンク・特別ステッカー・プレゼント抽選権・メテオさんのミニライブすべて込みで税込み1100円です。

全席売り切れのあと、追加も売り切れて、ちょうど今日から最後の追加分が購入可能になりました。もし興味がありましたら、どうぞよろしくおねがいします。