自信について

Xのフォロワーの皆さん、こんにちは。

そうでない皆様、私のnoteを読んでくださりありがとうございます。

やらなければならないタスクが沢山残っていますが、お風呂に入っていたら思う事が沢山あったので、今こうして筆を進めています。

今回は、「自信について」というテーマ
あるひとりの考え方、という事で読んで頂ければ幸いです。

自信には、2種類あります。
根拠のある自信と、根拠の無い自信。
一般に、実績に基づいた自信は前者
実績の無い自信は後者として扱われる事が多いです。

であるので、多くの人は自信を得るためにひたむきに努力をしていることと思います。

しかし私は思います。
例えば、
「良い大学に合格したから、俺はすごい!」
というのは、根拠のある自信でしょうか?

この考えは単なる学歴至上主義に過ぎないでしょう。

もう一つ。
「○○時間練習したのだから、大会で結果を残せるはず!」

素晴らしい努力をしています。でも、これが正しくないのは分かると思います。

私は普段介護の仕事をしていますが、提供するサービスは、ざっくりと言うと「ケア」という言葉で表せるかもしれません。
しかし、「ケア」ってすごく曖昧です。
言葉として定義する事は簡単でも、日々色んなご利用者様がいて、それぞれに生活されています。
困っている方に手を差し伸べるのが自然にできる人でも、何をしてあげたら良いか理解して行動するには、知識と経験が必要です。
色んな方を見なければならないから、チームケアが必要であり、気配り目配りは当然ながら、「ケア 」をするために、介護技術を磨いたり、柔軟な発想や、認知症の方への対応を学ぶなど、とても奥が深い仕事です。

介護の仕事を初めて、もうじき3年が経ちます。
現在28歳です。
仕事もプライベートも失敗と成功を繰り返す日々

そんな中で自信なんてのはなかなか持てず、おろおろと醜態を晒しているわけです。

でも、褒められることも、上手くいくことも沢山あります。

仕事においてもプライベートにおいても、自信のあることと無いことと、内容ごとに自分自身の感覚は異なります。


話を戻すと、
勉強をして得られるのは、勉強の自信
練習をして得られるのは、その物事の自信
なのだと考えます。
だから、勉強しても偉くはならず、練習しても成果は得られません。

私の言葉で表すのなら、

ひたむきに取り組み、何をしたら良いか分かり、やるべき事に取り組み、周りから評価される。

その繰り返しです。

だとしたら、特定の事柄に関してではなく、自分自身に自信を持つにはどうしたら良いでしょうか?

目の前の事にひたすら取り組み、成功体験を積み、夢や目標が見えてくる。夢や目標を達成する。

きっとその繰り返しかもしれません。

1番最初の段階である、
「目の前の事にひたすら取り組む」
このためには自信を持たなければならない。
と私は感じます。

私は傲慢ながら、
「私はなんでも出来る!」
と思っています。だから、色んなことに挑戦します。
何よりもそれが、言動力です。
自信を獲得するための原初的な自信は、全く根拠が無い。という事

上手くいかなかったことも沢山あります。

こんな事が得意で、こんな事が苦手で、こういう性格でというレッテルを自分自身に貼り付けた事も沢山あります。それは、楽しい生活のために、可能性の高いものを目指した方が合理的だから。

大学を中退して、社会人になって、私は全ての体験を一度失いました。

積み上げてきたものは、何も意味を持たない。
でも、テストで何点とったとか、どれだけ努力したとか、そういう事だけじゃなく、自分自身の考えや哲学がありました。

倫理的でありたい心構えや、人生や感覚に対する価値観

ゼロになった時、自分を立て直すために沢山考えました。新しい事にも挑戦しました。

生きていく中で本当にたくさんの人に出会い、正直に申しまして、尊敬も軽蔑もします。

ですが、私は私です。私は私の憧れをひたすら追いかけることが出来ても、あの人の憧れにはなれません。

世界に正しさがどれだけあろうと、自分を超越した正義には誰もが敵わないのです。

これから生きていく中で、いつまでも自他の区別をし、私は、「私のなりたい私」になるために、日々学び成長していきたいものです。

人と違うだけでは個性とは呼べない。
将来認知症になり、好きな人の事も忘れてしまったとしても、好きな音楽を嗜んだり、凄惨なニュースに涙を流したり、人とおしゃべりして笑いあったり、そういう感情はいつまでも残ると言われています。実際そうだと思います。

際限の無い、無限のサイクルの中で、(人生はほぼ確実に有限でありますけれど。)自己肯定感を得るには、私が生きている意味ではなく、生きている私の意味を深く理解すること。つまりは、魂の奥底の不可分の素粒子の私という個を特定する実数を、水面に揺蕩う意思のない物や、心地が様々な四季折々の風のように感じていたり、あるいはそれがいったい何であるのか、観察したり感じたりするという、答えのない事を肯定する寛容な態度が必要になってくる、という訳です。

自信なんて根拠が無くていいんです。
まずは挑戦してみましょう。
不安な事は周りの人にどんどん話しましょう。

私もその事を大切に考えて過ごしてゆきたいと改めて感じています。


長々と読んで頂きありがとうございました。
コメントや評価お待ちしております。

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