語学の勉強は間違いをしてなんぼ

通っている日本の大学の交換留学制度を利用してアメリカの大学に行った時の話。学内の選考にはパスしたものの、TOEFLのテストで求められるスコアを取得できなければ、受け入れ先の大学の大学から入学許可が下りないという状況だった。短期間で目標のスコアを出す必要があったので、必死に単語を頭に詰め込み、問題を解いた。結果、合格ラインのスコアが取れたので、夢であったアメリカ留学がかなった。ちなみに、頑張れば夢がかなうんだ!という話がしたいわけではない。

渡米して間もない時、留学先の大学キャンパスで最寄りのバス停がどこにあるかわからなくて近くを歩いていたアメリカ人学生2人組に質問した。
どのような文章で聞いたか覚えていないが、バス停をbus depot という単語を使ったことは鮮明に覚えている。TOEFLの勉強で覚えた単語だった。
相手の学生たちの反応は、「bus depotだってよ~」という感じで、苦笑いされてしまった。とても恥ずかしかったのを覚えているが、以来、バス停という意味でbus depotは使わなくなった。自分のイメージするバス停とbus depotのイメージが違うということを痛烈に学んだわけだ。そして、この体験をいまだに覚えている。

間違えたことによって、正しい意味をインストールできたわけだからある意味ラッキーなのだ。そして、間違えた体験が当時の自分にとって強烈だったためbus depotの意味が定着した。
間違えちゃいけないと思っても、外国語なのだから間違えちゃうのは致し方ないわけで、だったら、間違えることを ”正しい記憶を定着するチャンス!”ととらえた方が気が楽だし、生産的だと思う。日本語だって間違うでしょ。

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