分島花音が教えてくれた「ツキナミ」なこと

恐ろしく久々のnote更新である。アカウントがあったの忘れていたくらい。

先日上演しました手前の劇団GAIA_crew本公演のことを書かないとならないんですが、それは11月になったらと決めていたので一旦置いておくとして、でもまあ肩慣らし的になにか書こうかと思ったのです。

でもまあ兎に角ここの所書物仕事が多く、話聞いてインタビュー書いて取材してレポ書いてライブ見てレポ書いて隙間で依頼の原稿やって…と十分肩慣らしいらないくらいものは書いているのです。でもそれはお客様ありきの商売としての物書き業であって、何にもならないものを書く力が減りそうだということで、まずは一発なにか書こうかと、思いついたことをコラム的というか、雑文として隙間でこれからは書いていきますので、お時間あればお付き合いください。では今日は、友達の話。

改めて生活の中で音楽を聴くのですが、僕はその時の気分で聞きたい曲を延々1曲リピートするタイプの人間だ。で、だいたい疲れていたり、考えていたり、落ち込んでいたり、怒っていたりというマイナスの感情を抱えだした時に必ず聴くのは、分島花音の「ツキナミ」。

尊敬するアーティストにして友達(と、思ってるよ!僕は!w)の花音ちゃんとの出会いはこの曲だった。勿論その前からも知ってはいたが、当時所属していた事務所であるウルトラシープの同期だった彼女からの依頼として、アルバム発売記念でこの「ツキナミ」をテーマにした朗読劇をやるからそれを執筆してくれ、というお話を頂いたのだ。

最初に聴いたときはその鮮烈な曲のエネルギーと使われている言葉の力に圧倒された。なので最初に書いたのは、病室のベッドの上で出会った女の子二人の物語。なんとなくイメージは僕のフェイバリット・ムービーの一つ「ノッキン・オン・ヘブンズドア」のような、でも全くロードムービーではなく、小さな話。

当時のマネージャーからも好評で、いける!と思って提出したものを踏まえての初めてのご対面、かつ打ち合わせは羽田空港だった。音楽イベントに僕はMCとして、そしてアーティストとして出演する前にカフェで出会った分島花音は恐ろしいほど美人で、少しおどおどと話し出します。

「いいと思うんですけど、私が表現したいこととちょっと違うんです」

月並みというのは平凡という意味だけではなく、本来は“月ごとに行なう事”のことで、私にとって切っても切れない事を歌っているんです。もっと普通の事なんです。そう話してくれる花音ちゃん。今でも思うが分島花音は説明が決してうまくない。伝えようとしてその脳みその中をフル回転させて浮かんだ言葉を必死に語りかけてくれるが、決してそれは簡潔なレポートではなく、ある種の文学のようだ。だから真剣に聞く。聞いているとある瞬間に本質がカッチリと見えてくる。うわべで付き合うのが難しい本物のアーティストだ。

「たとえば私はいくらが大好きなんですけど、いくらなんて無くてもみんな生きていけるじゃないですか、でも私にとってはいくらは切っても切れないモノで、それがない生活は考えづらいというか…」

今でも忘れないこの「ツキナミ-いくら比喩」だが、だんだんわかってくる。この曲は分島花音の衝動と焦燥だ。飾らず音楽に乗せて発したい言葉を並べている散文詩なのだ。だから本音なんだ。そう思うと合点がいく。そりゃそうだ、僕らだって日々生きていてもそんなにロックンロールな劇的な出来事なんてめったに起こらない。同じように日々は平々凡々と続いているけど、そこに生きている人間の内面はいつだってドラスティックに沸き立っている。何かを変えたい、変えたくない、守りたい、戦いたいという思いはドロドロと渦巻いてハワイの活火山のようにマグマを拭き上げている。

まる一時間しっかり話を聞いて、当たり前の世界の当たり前の話にした。二人の女の子がお互いのクラスで少しすれ違って、仲直りする話。どこにでもある話だけど、そこにある衝動は抑え切れないような、本人たちにしかわからないツキナミな話。

二本目は花音ちゃんからもOKが来た、当日ディレクションもみてくれと言われて会場に行ったら朗読するのが水瀬いのりちゃんと加隈亜衣ちゃんでぶっ飛んだのもいい思い出ではある。

モノを書いてお金をもらうようになって10年ちょいたつが、今の所完全100%リテイクはこの一回だけである。それからやっぱりこのツキナミという曲は僕にとって特別な一曲になった。

衝動のままにこの曲を作るというのは決意表明なんじゃないかと思うことがある。生きることは表現すること、そしてそれはツキナミな事、私はこれと歩いていく。そういう決意があの強いメロディに現れている気がする。

「永遠じゃないのは知っている」から「失って忘れないようにこうして歌っているんだよ」と叫ぶ。いつもマイナスの感情に囚われそうになるとこの曲の中の花音ちゃんに問いかけられている気がする。

「あなたが愛しているそのツキナミな出来事は、こんな事でダメになるの?」と。

分島花音の中では「きっと貴方が微笑んだり、涙をながすようなこと」は自分にとっての「ツキナミ」な事なのだ。誰かの心を動かすことが日々切っても切れない事というのをアルバムの表題曲として宣言する覚悟。それを僕は、持っているか?

分島花音が嫉妬するくらいの表現を叩きつけなきゃ、友達(と、思ってるんだって!)として、彼女の横には中々立てない。まだ作りたい物語も文章も芝居もある。そんなツキナミなことを思い出させてくれるこの曲をくれた分島花音も、ある意味僕にとって「ツキナミな」人物なのだ。

いつか自分の舞台に曲を提供してもらいたいと思いながら、今日もシコシコパソコンに向かうのです。その時はシンガーかチェリストの役で出てもらおう。


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