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眠れない

ごめんなさい。もう完全に負の思考のループに入ってしまって寝れなくなったのでこれを書き始めています。なんかもう、ネットで強い自我を出すのはもうこれっきりにしようかと思えるくらい申し訳なくて恥ずかしい。

最初は縮小垢の方で「わたしは病んでる絵を描いてるけど本当は自傷行為も大量服用もできることならしてほしくないと思ってる」「これができたらメンヘラになれるのかな、と思って行動に移している人が多そう」みたいなこと言っていた。今見たらもうちょい言葉選べよ、と思う。
精神的な苦しみはうまく伝わらないから可視化したくなる。芸術とやまいの親和性が高いのはこういうことだろうなと思う。私も「苦しいって認められたい」で行動に移した側だった気がする。それはそれで普通の状態ではないんだけど。あと腕を切ってスカッとする感覚って科学的に証明されてるらしい。ソースは知らん。

そして、もしかすると私の絵によってそれらを助長する危険性がやはり否めないな…と思い表でベラベラ喋っていたら、わたしの絵の表現に純粋に救われてる人がいる、と知り、
爆裂に申し訳なさと恥ずかしさに襲われるなどした。

というのも私は元々自傷したい衝動を抑えるために自分の描くキャラクターの腕をズタズタにしている節があり(ごめん)、これが「私が絵を描くのは私が救われるため」ってことの一つでもある。

私はやっぱりどこかで、自分も他人も生きてたほうが良いよなあと感じていて、死ぬ死ぬ詐欺だとか悲しい事を言う人もいるけど、いいじゃんどっかで生きててくれよ、と思ってしまう。

昔の話だが、私の自傷の跡を見つけた母親はものすごく怒っていた。こんなのやっていいことじゃない、と言った。
すごくすごく悲しかったんだと思う。
学校から帰ると、そのことにはもう触れなかった。私はやっぱり正気を失える人間ではなかった。

私は自分の作品が自分でめちゃくちゃ好きなので、大幅に変えてしまおうとかは思わない。
でも亮平の痛そうな腕を見てるとやっぱり考えてしまう。まず親に見せれないんよ。

人の心の病みをエンタメに昇華した側の人間は地獄に堕ちるので私も地獄に堕ちる、と縁起でもないことを常々感じている。

別に表現の仕方を変えなくとも、もっと私が人の心に寄り添うことができて、それを描写できれば一番いいなと思う。頑張ろう。北の国からとか観てると、(また北の国からの話をしている)人の持つ感情の繊細な動きの演出が本当に巧みで感動する。これに辿り着くにはどれほどかかるんだろうか。


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