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2022年5月1日の日記

コンビニに行った帰り道、あの夜の非実在セックスを思い出した。カップ焼きそばの入ったレジ袋を叩きつけて話しかけんな、うるせぇよと僕は癇癪を起こし憤る。いつものように白い目で見てくれる通行人すらいなかった。誰も俺をみてくれない。見ようとしない。みんなバカだから。白●だから。魯鈍で頓痴気なノータリンだから、ぼく以外。今日は大学に行かなかった。もし行ってたらたまに文学史の講義が被るあのメスおマ●コ女と話せたかもしれない。あぁとかうぅとか嗚咽を漏らすことと泣き叫ぶこと以外と声の出し方を忘れてしまった。中学生の頃親に隠れて振りコピしてたアイドルの腹黒そうで不遜な顔を思い出した。出会い系アプリの広告には女しか使われないんだよな。色々思索した結果、僕が利害で物事を捉えすぎでプライドが高くて大して努力もしないのにその結果に文句を言う人間ということで終わったが、普通に納得した。クソが、死ね。繊細で感受性に富んだ人間のようなつらをして、プライドが異常に高く相手の優しさや何気ない思いやりに気づけないし他人に興味がない。一般的に、普遍的に、この俺様の感覚が、意見が、異常で正しくて愚かで本当にどうしようもなく価値がなくてつまらないものだというのは自明であった。それを思うとなんだか苦しくなってまた机の角に腕を強く叩きつける。全然痛くなくてまたイライラする。多くの場合まず自覚されるに至らない純粋な利己が人間社会を生んだ。帰属意識も崇高な理念も後付けでしかない。きっとそう。アイドルが笑っている。アイドルが踊っている。みんなきっと「社会不適合者」のメタファー、現実世界とリンクしていて全ての要素が暗喩である。ドマイナーなヴィジュアル系バンドのボーカルが破滅を祈っている。「死ね」は呪いじゃなくて祈りの言葉だ。神聖だ。音楽宗教論。三代欲求と音楽。偶像崇拝。セックスを描写した歌でも、卑俗な大学生ヤリラ•フィーでイェイイェイウォウウォウな実在するセックスには関係がない、どこまで行っても音楽は無垢で祈りで、非現実の王国で、不特定多数の誰かのために存在しているものではない。僕にとってはそういうもの。やいお前ら、少しはヘンリーダーガーでも見習ったらどうだ、なあ、コノヤロウ。でもやっぱり、この曲歌詞が汚すぎる。

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