ノウワン 第十三段 明日香
五月雲(さつきぐも)が夕焼けに照らされて群青色にたなびいている。何処かで誰かが夕立に晒されているのかもしれない、それが自分の親しい人でなければいいと思う。京阪石清水八幡宮の駅を降り、自転車に乗り換え、平坦な石畳の道から橋を渡る。犬を連れた老夫婦が視界に現れる、ふいに山の手から涼しい風が吹き込むと彼らは互いに顔を見合わせて手を合わせていた。山頂にはどうやら立派な神様が祀られているらしいのだが、私はまだ行ったことがない。どんなご利益があるのだろうか?
私達の住処(すみか)の庭には大昔に山から転げ落ちてきた自然石が苔を蒸して鎮座している。様々な樹木がその巨石に根を張って四方八方に生え散らかしているため、見た目が巨大なタコ焼きのようになっている。デカいタコ焼きに爪楊枝がハリネズミのように差し込まれている形で苔むした頂上は丁度青海苔のようだ。
その巨石の下に道すがら通る観光客が気まぐれに賽銭を落としてくれるので半年ほど前に一計を案じ、それらしい木箱を設置してみた。すると日に何千円も歳入があったので暮らしの足しにしようとしたのだが、同居人が激しく抗議するので渋々それは取りやめている。
しめしめ、前にこの住処で生活していた女性がよほど行いが良かったのだろう、今日も良い感じで小銭が納められている。ここ最近の私は機嫌も悪く、生業も上手く回らないことが続いているので少しくらいはいいだろうと思う。困っている人に寄付など今は洒落臭い、あとでコンビニで流行りのデザートでも所望しよう、楽しみだ。
玄関の引き戸を開けて薄暗い廊下に電灯を照らす。和風の古民家でトイレ以外は引き戸となっている。歩けば床板がいちいちと軋む音を上げるが最近は特に気にしなくなった。台所のテーブルにリュックを下ろし中身を取り出す。大量のチンするご飯と冷凍餃子そしてカット野菜。卵が崩れていないことに安堵するのは常日頃のことだ。
年季の入った冷蔵庫に詰め込んで残りの食材も戸棚に片付ける。あの料理が上手な同居人はいったい何処を彷徨いてやがるのだろう、思い返すたびにイライラがつのる。
考えても仕方がない。風呂釜に火をつけ、湯冷しを飲み干す。TVをつけても興味をそそられる番組がない、今日は日曜日だから18時まで待たなければいけないことを思い出し、ネット動画に切り替えて大好きな『ひたすらパンツを作る安村チャンネル』を鑑賞する。動画内で今回もやんごとなき理由でパンツを剥ぎ取られ全裸と成り果てた安村が自前で下着を作っていく、私は感動的なストーリーだと思うが世間は理解してくれない。再生数も1000回を超えたことがない、可哀想に安村の収益化は夢のまた夢だ。何故なのだろうと安村のために真剣に考えてやった。モザイクのデザインに問題がある。間違いない。
肩甲骨周りの筋肉を入念にストレッチしてから洗濯機に衣服や下着を放り込みスタートボタンを推す。そのまま風呂場に向かい湯船に身体を耳まで沈めると首の裏側から身体の芯まで湯熱が通り血流が活発になる音が体内に響いているのがわかる。お湯が外界の音を遮断して、自分の体内の音だけが私の感覚を支配すると、何故だか私は他には何も要らない満足な気分になれる。
地球か、今は全てが懐かしい。風呂は癒されたもの勝ちだ。
長湯は身体に毒なのでそそくさと湯舟を出る。
洗い上げた髪をドライヤーで乾かしリビングに置かれたアップライトピアノに視線を向ける、鍵盤を塞ぐ蓋は開かない、同居人がその鍵を何時も持ち出しているからだ。
「ひかるはどう思っているの?」
護られている世界には悪意がある、私はそれと知りながら現状に甘んじて生きたくはない。
ドライヤーのスイッチを切り作業部屋に移る。工業用のミシンが一台、元は朽ち果てたような風情だったものだが今はひかりの能力で元気いっぱいだ。ブレーカーを立ち上げスポットライトを点灯し、ミシンの電源を入れるとJUKI DDL505の機動と共に私の中のナニカが目醒める。玉たすきというわけではないが腕を振り回し、袖をまくり上げる。
梅雨が明ければ直ぐに暑い夏がやってくる、ちょうど良い生地もあるし、父と母に揃いの浴衣でも作ってやろう。
二時間ほどで上手く拵え、あともう少しという所なのだが突如携帯電話が鳴り響いて集中力が奪われる、同居人からの久々のメールかもしれない。
そんなわけはなかった。『以前のアルバイトはいかがでしたか?超高収入のUM社にお任せいただければ貴女のハッピーライフは確実です、下記のURLにワンクリックするだけ。』
最近流行りの闇バイトの求人だ。携帯電話を放り投げて感情的になったわたしは余った布地を断ちハサミで怒りに任せて乱切りにする。いや、余ってはいなかった、帯をつくるための生地であることを失念していたことに気付き、落ちこむ。
やりきれない思いになったので詩織さんの残した家庭用ゲーム『ドラゴンクエストⅡ』で憂さを晴らすことにする。パーティの名前はローレシアの勇者「しおり」・サマルトリアの役立たず「あかおに」・ムーンブルクの魔法使い「ひかり」だ。ロンダルギアのダンジョンを彷徨うこと1時間、ドラゴン4匹と遭遇、逃げること叶わずたちまち「あかおに」が炎に巻かれて死亡する。赤鬼丸はゲームの世界でまで役に立たない、存在価値を疑う。アカオ二の最強の武器はてつのやりだ、序盤に訪れるムーンペタの武器屋で770ゴールドで買える。
ゲームの電源を切るとすっかりと夜が更けているのに気づく、日曜夕方からのアニメを観て楽しむ私の習慣は何処にいってしまったのだろう。何もかも上手くいかない。
ファミリーマートで良質な卵をつかったプリンが発売されていた。人様からくすねた金で食すプリンはさぞかし濃厚で甘かろうと期待を込めて2つ購入する。ありがとう、知らない人達。
コンビニから意気揚々と家路につこうとしたのだが、自転車に乗った男性が私に向かって近づいて来る。街灯も少ない狭い夜道で少し震え上がるが何事も無くすれ違った、胸を撫で下ろす。この辺りの治安は決して悪くはないのだが、私の生まれた難波では闇夜に乗じて不届なことを行う輩が頻繁に出没していたのだ。警戒しても仕方がないだろう。
ふいに小川からひとつふたつと蛍の光が浮き上がったことに気付く。振り向いて先ほどすれ違った自転車が遠くに去っていることを確認した私はこの光景を暫し楽しんだ。もしかしたら詩織さんが私を元気づけようと粋な計らいをしたのかもしれない。ここの小川の流れは何時もやさしい、瞳を閉じる。蛍たちにも良縁がありますように。
さきほど駄目にしてしまった浴衣はサイズを直し、ボタンをつけて私とひかりの寝巻になるよう拵いなおそうと思いつく。山の奥から梟が鳴く声が聞こえた。
プリンが無性に美味い、なんたる絶品か!全デザートの王たる貫禄を今私は口の中で堪能している。この途切れること無く満ち溢れる幸せの量と質よ、このプリンを開発した天才にはノーベル賞を与えるべきだ。
ひかりは明るい赤の紋様を好むだろう、母親のために作った浴衣の採寸を変える。肩幅が狭いあの子にあわせるだけだから簡単なはずだ、きっと上手くいく。3時間くらいで二着の浴衣を私とひかりのサイズに仕立て直し、蛍を型どった麻地のボタンを幾つか縫い付けて両襟が整うようにした。
ハンガーにかけて二つ並べて壁に飾ってみる。店売りには適さないが家着としては充分だろう、ひかりが帰ってきたらこれを来て赤鬼丸もつれて小川の蛍でも鑑賞しようかと考える。赤鬼丸にはサマル王子のコスプレで事足りるだろう。明日辺り作ってやろう。
全ての電気を切りブレーカーを落とす、静寂と闇に包まれつつ、私は壁つたいに作業部屋を出て寝室がある2階へと足を進めた。
深夜、強い雨風の音で目が覚める、夕暮れの五月雲はどうやら私が住んでいるこの辺りへの警告であったようだ。「この家、一人で住むには寂しすぎるんだよね。」そう言っていたのは相葉ひかり、アンタじゃないか。留め具が緩んでいるのだろう、ステンレス製の煙突が風に晒されてひっきりなしに金属音をあげている、煩い。山から打ち下ろされてくる風が時折突風となり柱や壁が悲鳴をあげ倒壊の恐怖を私に想像させる、このまま私達の住処を根こそぎ吹き飛ばしてしまうのではないか?怖い。
私は寝室を飛び出し、ひかりの部屋に入るとそのままクローゼットを開けた、そこに吊り下がっているのは全て私がひかりのために作った服達だ。黒いレインコートを見つけ諸手で抱き込み顔を埋め呟く。
「莫迦(ばか)。」
もう二か月近く私はひかると会っていない。雷がなった、とても近い。
虫の知らせが入ったので相葉ひかりと赤鬼丸は放出(はなてん)の駅前商店街にある某大手コンビニエンスストアの看板を修理しに来ていた。午前二時過ぎから訪れた雷雨のせいで看板を固定していた金具が何本か断ち切れている。
「二時間後にこの下を走る新聞屋のバイクに看板が直撃、朝ピ新聞の配り手が一人弔いになるな。大和全土でラッキーナンバーを『7』とする風潮が消えるところだった。いやいや実に危ないところであった、なんちゃって。」
アストラル体の赤鬼丸に雨の影響はない、雨粒は悉くその身体を透過し地面に叩きつけられている。
瞳を緑に光らせ電柱の上で相葉ひかりは幾つかの過去の時間を利用して新品同様の状態に看板を変化させる。
「お前の能力って便利だよなぁ、本当に。」
「この程度ならね。」
旋風がコンビニの駐車場で巻き上がった。
「ねぇ、赤鬼丸。」
「なんだよ。」
「こんど、お詫びがてら明日香ちゃんを『鶴屋』に誘ってみようと思う。」
「お前、あそこはもう行きたくないって言ってたじゃん。」
「致し方なし。」
相葉ひかりは無理に笑顔を繕って短く応える、レインコートの胸の奧に隠したピアノの鍵を軽く握った。
夜遅く逢坂を襲った低気圧は丹波を通り抜け、明け方には海の彼方へと消え去っていったという。
つづく
逢坂紀行
岩清水八幡宮は大阪八幡市にある神社です。日本で最も多い神社である八幡神社の総本山の一つです。応神天皇が祀られていますが、この古代の王が何故この国でこれほどに特別扱いされているのかについては諸説あります。
それはそれとしてこの物語はあくまでもフィクションです。古史古伝ネタもちらほら出てきますが全て嘘っぱちです、まともに受け取らないように。
いいですか?神憑りなど現実にいるわけありませんし、虫の報せ?未来予知?アストラル体?あるわけないでしょそんなもん。
今回出てきた古民家の煙突は『ステンレス煙突 T字曲がり』といいます。建付けの金具が外れた状態で嵐がくるとその軽さが逆に災いし建物と衝突を繰り返し騒音の原因となります。ひとつ賢くなりましたね。
今回初めて出てきた服職人の女の子、北条 明日香と以前からちょくちょく出演している神憑り、相葉 ひかり この二人がこのお話の主人公です。ついでに赤鬼丸もつけて、今後ともなにとぞ宜しくお願いいたします。
北条 明日香のモデルは未来のロックスター伊集院 かおり(みるきーうぇい) さんです。はやく大阪城ホールでライブやって欲しい。行くから、楽しみに待ってますから。
それでは次回までEnjoy your journey♫
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