夏休みの宿題を片付ける日に思い出したこと。
最初に海を見たのはいつだろう。
家族でお盆過ぎた遅い夏休みにスカイラインのシートの匂いで車酔いしながら見た防波堤越しの海。
そこが湘南なのか熱海なのか伊豆なのかわからない。
空は曇り反射して海も灰色に見えた。
車の窓を開けて海を見た時吸い込まれそうで海が見えないように(海から私が見えないように)シートに潜った。
私は自分の背よりも高いところに立つと同じような恐怖を感じる。
高ければ高いほど恐怖は濃厚になる。
見えない力、重力にするりと引っ張り込まれそうな恐怖を覚える。
海も同じだった。
地上から見る海は表面しか見えない。
私には海面から海底が想像できた。
そこは私の背よりも高い(深い)。
それだけでなく海では重力は水平にも働く。
水平線の向こうに吸い込まれる恐れもある。
落下するだけでなく遠くに吸引される。
海は二重に怖い。
私は今でも自分の背丈より深いところで泳がない。
泳ぐにしても足が届きそうなところまでしか行かない。
故郷では自転車で20分くらい走れば多摩川の河川敷に出た。
堤防のサイクリングロードを右に行けば立川、左に行けば府中。
立川では鉄橋でサイクリングロードが終了するのでもっぱら左に行った。
左に行くとサイクリングロードは府中を越え延々と東京湾に通じる河口までたどり着く。
もちろんそれは地図上のことだ。
子供用の自転車でそこまでは行けない。
行けるかも知れないが私は小さな危険も犯さない臆病な子どもだった。
せいぜい府中市内で川の向こうの川崎市にあるキューピーのマヨネーズ工場近くまで。
工場からの昭和的野放しな異臭を感じると引き返す。
その程度の小冒険。
それでも出発が放課後であるから日が暮れてくる。
日が暮れることも恐怖だった。
引き返せないのではないか。
家に帰れないのではないか。
戻れないのではないかと想像することは恐怖だった。
2011年8月末に私はカミさんと飼い猫と海のあるこの町、逗子市に移住してきた。
今日から11年目に突入する。
私は生まれてから22回転居し9つの市町村で暮らしてきた。
同じ市町村の同じ住まいで10年以上生活するのは初めてである。
故郷には成人するまでいたけれど同じ住まいではない。
両親が実家となる一戸建てを購入したのは私が14歳の時であるから10年に満たない。
最初に見た海が怖いと思った私が海から480メートルの近くの家に10年以上住んでいる。
不思議なことだ。
私が生まれたのは1964年だ。
1960年代から1970年代にかけては両親と一緒に、
1980年代には友人たちと一緒に海へ行った。
多くは湘南、伊豆、時折千葉、稀に茨城の海。
湘南の海は当然ながら濁って泥水のような色をしていた。
伊豆、茨城などに時々澄んだ海もあった。
家族で出かけていちばん澄んでいると思ったのは佐渡の海。
旅行先では、バリ島の海が意外に濁っており、宮古島の人里離れた小さな入江はよほど青く澄んで美しかった。
いずれにせよそうした時に海の近くに住みたいという選択肢が頭に浮かんだことはない。
十数年前、私は早朝に仕事を終えて次の日は休みだった。
横浜市港北区のアパートでひとりで暮らしていた。
10月のよく晴れた朝のことだった。
シャワーを浴びている時に「そうだ、海に行こう」と思いついた。
どうしてそう思ったのかはわからない。
早朝にわが町の海で散歩しているとその時の私のような人が時々いる。
「そうだ、海に行こう」と思い立って海に来て食い入るように海を眺めてる人が。
地元民と違い、海に来るには少しフォーマルな格好でリックなどを背負っているので一目で「あ、海に来たんだな」とわかる。
もちろん本人はそんなつもりはなくかなり軽装で来ているのだろうが、地元民は手ぶらで(犬を散歩する人は小さなバッグ、海に入る人はSUP用のボードとオールを抱えているが)短パンにビーサンか、パジャマだか部屋着だかトレーニングウェアだかわからない(そのすべてであるかもしれない)服に汚れたスニーカーなどという、ゆるい格好をしているのでそうでない人が目立つ。
と書いたところで海を見たくなったので見に行ってきます!
続きはまた明日!
もしも、私の文章で<人生はそんなに悪くない>と思っていただけたら、とても嬉しいです。私も<人生はそんなに悪くない>と思っています。ご縁がありましたら、バトンをお繋ぎいただけますと、とても助かります。