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花の一生、人の一生

春には桜、花水木、躑躅が咲き、梅雨の訪れと共に紫陽花が咲き、夏には向日葵、百日紅が咲き、秋桜が咲くと秋がやってくる。果実が熟し、葉が紅く燃え、花のように散り、落葉の絨毯となり、寒椿がぽとんと落ちる。生物が寝静まり、年を越え、雪の下でせっせと充電を終えた梅がいち早く春の足音を見つけ、芽吹き淡い花を咲かす。

桜をみていると、日向の芽は真っ先に花と咲き満開となるが、日陰の芽はいつまでたっても咲かず、みている私が心配になる。しかし日向の花が散り、子房もまた地面に落ち、新緑が輝くころになって、日陰の芽は満開を迎える。もちろんすべての芽が咲くとは限らないだろうが、遅れるがゆえに新緑のキャンパスの上で花として輝く。

早くても遅くても花は散り、地面に落ち、風に飛ばれててゆく。飛ばされた先で土と一体化し、あるいは川に落ちて水と一体化する。いずれも分子となり、木になり水になり雲になり空になり風になる。

そしてまた桜となり花を咲かせる。それがかつての芽と同じであったかどうかなどだれも気にしない。人もまた生まれ来て生きて去ってゆく。燃やされて灰となって分子となり木となり土となり水となり風となる。骨壺に入れられればそれがすこし遅くなるだけで、海に撒かれればすこしそれが早くなる。

私はどこからか風のようにやってきてどこかへ風のように去ってゆく。だから恐れることはない。なるようにしかならないし、なるようになる。満開の躑躅をみながら今朝、こんなふうに私は感じた。

もしも、私の文章で<人生はそんなに悪くない>と思っていただけたら、とても嬉しいです。私も<人生はそんなに悪くない>と思っています。ご縁がありましたら、バトンをお繋ぎいただけますと、とても助かります。