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タイトルなし


友達と会話をしていると、過去の出来事を打ち明けられることが稀にある。

両親の死、崩れていく家庭を目の当たりにしたこと、セクシャリティのこと、兄弟の自殺。

その出来事は当人にとって、
間違いなく人生を揺るがすほどの大きな衝撃だったのであって。

たった今、聞いたばかりのわたしが
勝手に想像して同情して涙するのは無責任だと思っていて。

何も言えず、「うんうん」と耳を傾けることくらいしかできないもどかしさを抱えながらも、でも当人にとって最良の行動がなにか分からなくていつもナイーブになってしまう。



自分だけが憐れだとか悲観的になるのは違くて。
誰にでも悲しい出来事はあるけどそんなものは表に出さずに日々過ごしていて。

みんなもっと主観的になっていいのに。
だって自分がその出来事の当事者であって、感じるものが全てであって。
尺度はいつだって自分のものだから、他人がとやかくいうことじゃないし、他人を気にする必要もない。

そんなことでくよくよすんなよとか、大げさだなとか。
こんなことは絶対に言えないし、言いたくない。

だからもし同じ出来事の中に複数人の関係者がいたとしても、(少なくとも出来事は起きて間もない頃は) 周りのことなんて考えずにただ自分の感情に素直に、沢山悲しんだり、誰かに吐露したり、自由に自分の気持ちに向き合えばいいと思った。

(そんなこと言ってる私は一昨年、5年間の闘病の末に父親を癌で亡くしたが、その時は看病していた母が1番つらいはずだから私は泣いてはいけない、しっかりしなきゃいけないと我慢したことがあった。ようやく葬儀や通夜、いろんな手続きが終わって何か月か経った後に1人で泣いた。今思えば、その時に感情に素直になって泣いていたら楽だったし、母にとってもその方が安心したんじゃないかと勝手に思っている)


みんな違う傷を負っているだけ



そういえば昔の歌で「センチメンタルじゃ~ぁ~に~」ってあったな。

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