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自称テレビっ子

食卓を囲んでバラエティ番組を見る、父親が見たがるつまらない野球の試合を苛立ちながら仕方なく一緒に見る、チャンネル争奪戦、ドラマのために早く帰る、お気に入りのドラマは何度も繰り返し見て台詞まで覚える。そんな今思えば平和すぎるテレビっ子な子供時代だったが、いつしかスマートフォンの登場により、めっきりテレビを見なくなってしまった。

朝、天気は天気アプリで確認すればいいし、トップニュースはニュースアプリで確認できてしまう。テレビで取り沙汰されるゴシップは見なくていいし、自由な時間に必要な情報だけ得ることができる。

私は2年前にテレビを倉庫にしまった。今も眠ったまま。

社外のお客様と食事をしたとき、ふと「テレビに固定されるのが耐えられない」と私が発言したのをとても気にされて。一体どういう意味かというと、私の中では「テレビ」=集中する(すべき)ものという認識がある。だって「テレビ」という大きな機械の前に自分が存在しなければ見れないのだから。

一方スマホは、自分がキッチンで料理してようがお風呂に入っていようが電車の移動中だろうが、いつでも一緒にいる(持ち運びができる)存在。あくまで主体が自分であり、そこに「機械」を存在させるのだ。

つまり、なぜ自分が「機械」の都合でその時間その場にいなければいけないのだという主張になるのです。

世代間の考えの違いはそれだけではなく。テレビドラマの最終回を楽しみに仕事や家事を終え何がなんでもオンタイムで見たい世代 VS ライブでみたらCMもやたら挟むしなんならそこまでの熱意をドラマに抱かないのでオンデマンド配信で見たい世代

やはり昔より自由に選択できる時代になったことで、「時間や空間へ縛られないこと」への価値やプライオリティが高まったのだと感じる。ライブで得られる高揚感よりも好きな時間に。そして、面白いコンテンツが溢れていて、その中のたった1つに過ぎないドラマ1本への情熱や固執のなさ。そういったもの達が、どんどん世代間の考えの違いを生んでいるのではないだろうか。

今後もテレビを倉庫から部屋に引き戻すことはない。



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