あまのじゃくは損か
いっとき企業の採用担当や人事とつながりたいと、Twitterでフォローしまくった時期があった。
みなこんな風に言う。
「フォロワー数を伸ばしたいのであれば、こうしろ」
「いまどきTwitterを活かせないやつはイケてない」
「こんなツイートをすればシェアされる」
いわゆるノウハウ系と、仕事論のオンパレード。
あぁ、暇なんだなと思ってしまった私は最高にひねくれている。(本当に仕事ができる人は、ノウハウ系や持論をいちいち展開したりせずに、目の前にある仕事に打ち込んでいると思っているから)
もちろん人脈を広げたり自分の実績づくりだったり、価値を高めるためのSNS利用なのだろうけれど、どこか受け付けなかった。
結果、すぐ参考にするのも新たに繋がろうとするのも辞めた。
そういえば、カメラアカウントの時も同じだった。
自分で撮った写真をなんらかの形で人に共有したり、だれかの目に届けばいいなと思って、写真を載せるようのカメラアカウントを作ったことがある。
もちろん、他のカメラアカウントをフォローした。素敵な写真を見ることは感動するし、なによりも勉強になったから。
でもなぜかフィードを見ること自体、受け付けなくなった。
原因は投稿毎に必ず写真とコメント(キャプション)という構造だった。
(夕暮れ時の空の写真と一緒に「いつまでもそのままで」とかそんな感じ)
この人は自分の世界観で、こんな感性で写真を撮っているのだと素直に受け取らず。自分の世界観や感性に酔っているようにしか思えなかったから。
先人を真似ろがモットーなのでやってみたが、自分に気持ちが悪くなって辞めた。
どうしてこんなにあまのじゃくなんだか。
でもここまで好き嫌いの白黒がはっきりしてると
生きるのが楽だなと思ったり。
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