災害時の安否確認電話の勘違い

「4月14日: 親族以外からの電話攻撃、結構迷惑なんだよね。震災の時なんて数日電気止まってたから、電話のバッテリーが無いのに、ガンガン電話してくる関東の元同僚達は正直ほんと迷惑だった。心配してくれるのはありがたいけど、家族の安否もわからん時に無駄にバッテリー減らしてくれんなよと。」

「4月14日: あと、同僚が集まって「頑張って!応援してるよ!」みたいなムービーメール、ほんとマジ勘弁だった……ありがたいけど。嬉しいけど。ただでさえ電波弱い時にあれはキツかった。それを受信しないと次のメールが受け取れないっていう地獄。ほんと、皆さん、その辺考えてね。」

私のTwitterのタイムラインに流れてきた、被災地からの声です。
4月16日にもっと大きな地震が来ましたから、この方は大丈夫でしょうか。ご無事を祈るばかりです。

今、熊本で大きな震災が起こりました。

それにあたって、これまで考えていたことを正直に書きます。

言いにくいことですが、実際に私同様、このことで困った人達が大勢いて、頼むからやめてと言っています。だから書きます。その人達の気持ちに後押しされて、言いにくいことを言います。

災害が起きたら、真っ先に安易に現地へ安否確認の電話をしないでください。

現地ではとても迷惑なんです。本当です。困るんです。

本当に相手のことを思うなら、そんなに困らせないでください。

私は昔、台風で家が壊れ、家中に雨が漏れるし暴風は吹き込むし、という目にあったことがあります。

そのとき、安否確認の電話が延々と鳴り続け、私はキレて怒鳴りました。
「少しは黙れ、今それどころじゃない!」と。
母は相手は心配してくれるのだから我慢しなさい、電話に出なさいと言います。心配して早くかけてきた人達を安心させるため。この非常時にそんなサービスは私にはできません。それどころじゃないんで。私はしませんでした。

電話は短い方がいいなどと考えてくれなくて、相手は自分が心配しただの言い訳や、長々挨拶をする、気の利かない人ばかりでした。
まるで、ちょっとかけてみたくらいじゃ、自分の気持ちは届かない、すぐ切ったら悪いと、とんでもない勘違いをしているようでした。

それじゃ町内の大事な連絡が届かないと、聞こえよがしに私は怒鳴りました。母は電話口を私の声から遮るようにしていました。

被災時の対応に追われる時の安否確認は迷惑なんです。ものすごく。

いちいち手を止めて電話に出るなんて。正直、構いたくないです。
他に緊急にやらねばならない対応が沢山あるのに。

大事な電話連絡もあるので、電話は切れないんです。なのに回線を相手の知りたい事のためにふさがれてしまうんです。うるさく鳴り続けるんです。

緊急時に邪魔することにしかならないんです。

安否確認の電話の実態は、かけてきた側の不安解消にしかなりません。
それだけでも良しとするような心の広さは残念ですが私にはないですね。
相手へのお見舞いだなんて、そう言う気持ちはあっても、実際は邪魔になっているんです。

お見舞いは後でいいんです。

なぜそう急ぐ必要があるんでしょう?つまりかけた側は、一刻も早く、勇気づけたいと思いこんでいるわけです。
急げば自分が心配しているよって気持ちのアピールになるんでしょうか。
急ぐことが誠意だと思ってますか。勘違いしないでください。
それでありがたいと、こちらが思うと信じ込んでいるんですよ。
安否確認電話をかけた方がそう思いたいんです。
だから出来るんです。そういう気が利かないことが。

それで相手が安心するなんて、いいですか、思い上がりなんです。
そんな気持ちは毛頭なくとも、よく考えないでとってしまった行動が、事実として邪魔になっているんです。

現状、単なる安否確認にしかならないのに、お見舞いという、おこがましい言葉をくっつけちゃ駄目です。

いち早く連絡して被災地の相手を安心させるなんて、現地の方が無事を知りたがっている人同士の声でなくちゃ、安心できないんです。
そんな、安否を知りたがっている同士以外に、安心させるなんて、他の人には出来ないことです。

割り込んできた第三者の、気休めの応援の言葉で不安が解消、軽減するほど、甘くはないことが現地で起きています。
被災というのはその状況を乗り切る戦いのようなものだと思えます。
頼みますから、今はそっとしておいてください。大変なんだから。

こちらは同じ地区の親戚と連絡をとりたいんです。これからどうするか把握したいんです。
邪魔なんです。けが人がいたら、助けを呼びたいんです。その安否確認で回線が混み合ってる電話で。

電話を受けた方の気持ちを書きます。
「もう少し、気を遣って欲しい」
これが偽らざる本音です。

いいな、そっちは電話をかけて、後は気にせずぐっすり眠れる。でもこちらは、今夜以降、満足に眠れはしない日々が待ってる。
いいな、自分はいいことをしたと勘違いしてぐっすりか。暢気だな。

疲れ果てた時に出てくる思考は、そんなマイナスの塊みたいなもんなのです。

疲弊した中で作業を続けながら、早く休みたいと泣き言を言いながら、そうとしか思えませんでした。
ありがたいなんて気持ちのゆとりは全くなかったから。

ありがたいと思うのは、おちついてからなんで。
お見舞いは、落ち着いてからにして欲しいんです。
有難いと、災害地が思えるゆとりができてからにしてください。

こういうことを前に言ったら、知人の一人に「それはあまりな言いぐさだ、ひどい、人の気持ちを無視してる」と言われました。
そんなつもりで電話をかける人なんていないと。
本気で心配している。心を痛めていると。

そうでしょう。でも行動は短絡的。現地の大変さは理解しているわけではないのですから。つもりはなくても事実がそうだと言っているのです。

多分一度経験しないと分からないんだろうと思います。でも、私は自分以外の人があんな経験をしてほしいなどと絶対に言えません。
恐ろしく、不安で、惨めで、打ちのめされた心で、疲れ果てながら作業をするような経験は、しないほうがいいんです。

このことで、私を随分自分勝手だと思う人もいるでしょう。実際に居ましたし。
でも、冒頭の文章のような気持ちを飲み込む人が多いんです。

応援ムービーを送った「自称気の利く」暢気な方々へ。
いち早くやって、ノルマを果たせたみたいに気が軽くなりましたか?応援してやったと、気がすみました?
そんな自分が主役になる応援などしないでもらいたいです。

結果的にそうなっただけとしても、自分が安心できただけの安否確認は、エゴです。

本当に相手を思うなら、被災地の回線を混ませないでほしい。

自分が心配してるアピールより何が相手の為になるのか、考えてほしい。

そして出来れば、1週間でも1ヶ月でも、当人達から連絡があるまで待って欲しい。

わかっています。こちらも自分視点で相当一方的なことを言っていると。
身勝手と思われてもいいです。実際そうなのかもしれない。

でもこれが私の本音だとは申しておきます。

災害の後日談ですが、ガムテやシートの応急処置をして、ボロボロの家で寝ました。家をあけると空き巣がくるというので。
本当は疲れて何もしたくなかったのですが、近所の方に気を遣わせてしまうし、やらなければ終わらないので片付けは続けました。結局交代で常にここに誰か居るんだと示すことになったのか、その時は空き巣の被害はなかったです。

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