66日書いても、書くはうまくはならないけど
昨日、無事に66日ライランを達成したので、今日はあとがきというか。なんとなくの考察記事っぽいものでも書こうかと。
自分、66日書きましたけど、なにか?
66日という設定、やばい
21日続けたら…って時々聞くけど、66日は初めて聞いた。記事のクオリティは置いといて、とりあえず66日書いてみたわけだが…。66日という終着駅に着いたけど、その先にも線路が続いてるような感じがする。
はっ、これが習慣というものなのか…!
運動とか、なにか続けたいことには66日設定推奨です。
まぁ中だるみはあるよね
継続という言葉が私の辞書にはないので、途中で中だるみもあり。そんなときは、あー書くのやめよかな…と「逃げ逃げ脳」が優先。それに伴い、逃げる言い訳に眠たくなるんじゃないかと推測。
もちろん、疲れてた時もあったけど、眠たいを乱発した一番の原因は、書くことから逃げたいけど、逃げたくないみたいな感じだったんじゃないかと。
そこまでして、なんで書いたのか
じゃあ、書くのやめたら?と思う。別に書かなくてもいいじゃん。書かなくても別になんちゃーないし。
でも、続けてみたかったから。続けて「ねんねんさん、感動した!」と小泉首相ばりに、自分を褒めてあげたいと思ったわけで。
これに関しては褒めれる案件である(๑˃̵ᴗ˂̵)و ヨシ!
あと、自分の得意不得意が分かるかなと。私の書く内容は雑多すぎて、なにか軸になるものがあったほうが…と思ったわけで。
しかし、66日で分かったのは、書くテーマに「軸はない」ということだ。なんでもありだった。
でも、私という「軸」は日数追うごとに出てきた気がする。いいカッコしようとか、うまく書こうがなくなった。だから、半分眠りながら書いたり、ゆるい記事書いたりすることを、自分の中で許可できたのは、自分にとっては良かった。(読む人にはごめんなさいだけど笑)
一緒に走った仲間(仲間ってこそばゆい言い方だ)がいたから。
仲間というものが苦手だ。だから、最初は66日を無言で書こうと思ってた。だけど、気がついたら、コメントをしたり、コメントくれたりも楽しい時間になっていた。読んでくださった方、つたない有料記事を買ってくださった方、マガジンに入れてくださった方、コメントくださった方、コメントを書かせてもらった方、みなさまありがとうありがとう。
いま。
「続けることができない」んじゃなくて、「続けることができないと思っていた」んだね。思っているだけなら、それはいつでも変えれるのかもね。
実は、次はなにを66日続けようかと、ほんのり考えている自分に笑える。次は毎日体操かな。運動不足が甚だしいので。
66日終わって得たことは、書くがうまくなることではなく、自分のことを前より好きになれたことと、書く仲間である。
出会ってくださったみなさまに、感謝申し上げます。これからも、引き続きどうぞよろしくお願いいたします˶˙ᵕ˙ )ノ゙
ヤスさんありがとうございました!
今日のいいこと
・お義母さんと買い物。たくさん話せた。分かり合えないことが、すこし分かり合えた気がした。
・noteという場所があること
・今日も生きれたこと
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