民主主義を耕すという事

culture(文化)の語源はラテン語のcultura(耕す)から来ている。てな話を学生時代どこかで聞いた事がある。その時は「へー」と思っただけ。
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最近、SASPLという一部の学生たちが特定秘密保護法に反対するデモをやってて。
各人が思い思いに、たまには涙しながら必死に「民主主義」という文化を守ろうとスピーチする映像を「若いっていいな」などと思いながら、30歳という、学生たちからみればおっさん、上の世代から見ればまだまだ若造、という年齢を感じつつ見ていて(いや、自分の年齢はどうでもいいか…)

とにかく、彼らは辛そうだな、と。見ていて可哀想なくらいに。

https://www.youtube.com/watch?v=KiIH8STT_4o
https://www.youtube.com/watch?v=1DplKbIGA4o
https://www.youtube.com/watch?v=mJESbvpwkzA

こんな事をやるのは、彼らの周囲の友人たちの中では確実に「少数派」で、同調圧力が自分の世代よりも更に強いと言われてるような世代の学生たちにとっては、さぞ辛く面倒な事だろうと。嘲笑や無理解や黙殺の中で。

安保闘争の、学生運動が盛んだった時代に、雰囲気や周囲の熱意に飲み込まれてデモをやった人たちと比較すれば、同じデモと言っても、ずっと「異端」な事をやってる訳で。
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話は変わるが、ここ数年、この間クランクアップした『風の波紋』という小林茂監督の映画のスタッフとして、新潟の山奥にロケに行く機会をもらって、ロケ先で田んぼ仕事や萱刈仕事などを手伝う経験などさせてもらったりしていて。それは自分にとって初めての経験だったのだが、まあとにかく大変だと。地味な作業だし。足下は悪いし。汚れるし。稲も萱も、まー重いし。終わりがないように作業は続くし。

また、それとは別に、友人が埼玉の畑付き一軒家に引っ越したりしたので、そこの畑の土を桑で耕す手伝いをしてみたりして。そこはしばらく放置され耕されてなかった土で、起こすだけでも面倒。辛い。ちょこっと手伝ってるだけなのに。すぐにタバコを吸ってコーヒーを飲みたくなる。
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「文化」というものは、時代の中であっという間に簡単に失われてしまうけど、それを再生するには大変な忍耐力と不断の努力が必要で。まさしく「耕す」という、地味〜な辛い行為を続けなきゃいけなくて。

「民主主義」という文化にしろ、「村」や「土」にしろ、同じなのだと。
とにかく大変なのだ。耕すのは。維持するのは。つらく面倒な事なのだと。
収穫は天候にも大きく左右されるもので。毎年毎年、安定して実りある稲が見れる訳ではないのだと。

それでも10年かけて、「土は良くなってきている」と、ロケ先で撮影させてもらってる方は言った。

そういう事なのだ。民主主義という文化を「耕す」という事も。同じ事だと。
そう思った。

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