深川洲崎十万坪

深川十万坪

深川洲崎十万坪は、北に小名木川、西に横川と運河に囲まれた湿地帯です。
幕府はここに新田を開きましたが土地が悪くて貨幣の鋳造所である銭座を設けました。
しかしこれも不便で廃止され、ついには塵芥で埋められられました。
今は木場の東京都現代美術館の近辺です。
この絵は名所江戸百景でも有名で役物としている人もいます。
そしてこの絵の中で大空に飛ぶ鳥は大鷲とする人や鷹やだとする人がいますが、イヌワシだというのが定説になっています。
しかし、この鳥は海を飛んでいるので鳶かもしれません。

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『名所江戸百景』には、州崎という名所が2箇所描かれています。
ひとつめは品川洲崎で、もうひとつがこの深川洲崎です。
この両方の州崎は、地名からもわかるように、洲が帯状にだら~んと伸びた岬であり、先端に弁天が奉られているという点で共通していすます。
品川州崎が、目黒川の河口に形成された自然の地形であるのに対し、深川はそもそも人工の埋立地ですから、深川の州崎がどういう経緯で形成されたのかはわかりません。
深川洲崎が、どうして名所であったのかと言うと、洲崎弁天(現州崎神社)が有名なのと、ここから見える景色が素晴らしかったからです。
 特に筑波山の景色が素晴らしかったようです。
しかし、肝心の洲崎弁天が描かれていません。
描かれていない理由はわかりません。
広重はこの絵を鳥の目、鳥瞰図でこの絵を描いています。
名所江戸百景には他にも鳥観図はありますが、この絵には鳥が描いてあることによって、下界と天上界をわけたように描かれています。
海にはたらい、もしくは早桶(粗末な棺桶)が一つ浮かんでいます。
早桶には見えないのですが、早桶なら下界と天上界の絵のように思えてきます。
この浮世絵も前景に鳥を大きく描き、後景に、洲崎と筑波山、そして海にたらい、もしくは早桶。
広重には何かしろの意図があったと思います。
そしてそれは江戸市民もわかる意図のはずなのです。
原信田実氏によれば筑波山は霊鷲山(釈迦が説法していた山)としています。
霊鷲山の鷲と鳥のイヌワシをかけてもいます。
それならば海に浮かぶ桶は早桶かもしれないし、イヌワシは天上界、洲崎は娑婆世界を表し、大震災で亡くなった人々も仏がちゃんと導きますよというメッセージの絵かもしれません。
描かれている鳥が、イヌワシではなく鳶ならその話も崩れますが。


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