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公務員なのにセザンヌの絵を32点も買ったヴィクトール・ショケとクレポンを日本で初めて展示会をした妹尾啓司と私の友人の共通性

ポール・セザンヌを知っている人ならヴィクトール・ショケのことも知っているでしょう。
実は、私はWikipediaに載っていることくらいしか知らないのですが、ショケは公務員でありながらセザンヌの絵を32点も買ったそうです。
ショケがセザンヌの絵を、初めて見たのはルノワールが紹介したタンギー爺さんのところだったそうですから、小さいのは1枚50フラン(5万円)、大きいのは100フラン(10万円)くらいで買えたはずです。
タンギー爺さんのところはどんな画家の絵でもそれくらいで売っていました。
例外はファン・ゴッホが描いた『タンギー爺さん』で、これは300フランでなければ売らなかったそうです。
なぜかと画商のヴォラールが聞くと「これは自分を描いてくれたから」と言ったそうなのです。
このころ、ヴォラールはファン・ゴッホ、セザンヌ、ギヨマンの絵ならどんな絵でも100フランで買うと言っていたので300フランは買わなかったのです。
だからこの絵はロダンの手に渡り、今もロダン美術館に行けば見られるのです。

何にしろ公務員でも買える金額でタンギー爺さんの店ではセザンヌの絵もファン・ゴッホの絵も売っていたのです。
現代ではファン・ゴッホもセザンヌも大画家ですから悪く言う人はいないし、19世紀に生まれていたらファン・ゴッホとセザンヌの絵を全部買いたいなんて言う人も多くいると思うし、ファン・ゴッホやセザンヌの理解されない仕事や孤独に対して理解を示そうとする人たちはいます。
しかし、そういう人たちは例外なく大家となったファン・ゴッホやセザンヌを認めているだけで、世の中に認められていないものは、やはり理解しないのです。
つまり、現代の
ヴィクトール・ショケのような人がいるとしたら、認められていない絵をコツコツ買う人です。
ここで妹尾教授の存在が
ヴィクトール・ショケとダブるのです。
妹尾教授が『江戸の華 浮世絵展~妹尾コレクション・ちりめん絵の世界~』と題してクレポン(ちりめん浮世絵)展示会を開いたのは2006年10月で、財団法人 頼山陽記念文化財団主催で広島県立歴史博物館 分館の頼山陽史跡資料館で開かれました。

妹尾教授は岡山商科大学名誉教授でした。
大学教授の給金は分かりません。
でも金持ちとは言えないでしょう。
ヴィクトール・ショケも金持ちの息子として生まれたそうですから、公務員だったとしても普通の公務員よりは生活は楽だったかもしれません(フランスの関税・間接税局の官吏)。
だからこの両者は似たような環境(生活賃金として)に思えます。
ちりめん浮世絵もセザンヌが売れていなかったときの絵と同様に高い浮世絵ではありません。
高い浮世絵と言えば一番は写楽です。
今は数百万円で買える写楽も出てきたそうですが30年前は1000万円以上、6000万円以上がちゃんとした写楽のキラ摺大首絵の価格だったのです。
また、歌麿や北斎の富岳36景の人気浮世絵、広重の東海道53次や名所江戸百景の役物と言われる初刷も1000万円以上でした。
それに比べるとクレポンは1~5万円で買えたのです。
妹尾教授は111点(136枚)のちりめん浮世絵、2枚の大判浮世絵、14冊のちりめん本をコレクションし展示させました。
クレポンが安く手に入れられたからこそ、妹尾教授も100点以上のコレクションができたのです。
この価格もセザンヌとファン・ゴッホと似ています。

最近、ちりめん本はいくつかの大学でコレクション、研究をしていますから価値も上がっています。
ところがちりめん浮世絵(クレポン)に関しては浮世絵界、ファン・ゴッホ研究者たちからそっぽを向かれているのです。
ここでなぜファン・ゴッホが登場するかと言いますと、世界で初めてクレポン展を開いたのがファン・ゴッホだったのです。
クレポン展は1887年3月にカフェ・タンブランで開かれ、そのクレポン展を見て、影響を受けたベルナールとアンクタンはクロワゾニスムという新しい技法を創り、その技法で描いたベルナールの絵を見てゴーギャンはその技法を真似して新しいゴーギャンの絵を確率せたのです。

☟のベルナールの絵を真似してゴーギャンは右☟の絵を描いた。そっくりだ

そして、ファン・ゴッホはアルルにてクレポンを油彩画で描こうとしました。

ファン・ゴッホのクレポン画の完成絵の『星月夜』☟

つまり、アルル以降(厳密にはパリ時代後半から)のファン・ゴッホの絵はクレポンが基になっていたのです。
また色彩画家のマチスやボナールもクレポンの愛好者でした。
不思議なことに、19世紀のパリの前衛画家たちに多大な影響を与えたクレポンを誰も研究をしていないのです。
どの研究者も無視をしています。
ファン・ゴッホのことを書いた本や小説を読んだことがある人はクレポン(ちりめん浮世絵)が本の中に入っていないということはご存じだと思います。
だからクレポンと言っても何のことかわからないと思います。
しかし、ファン・ゴッホはクレポンをビングの店から1万枚以上の浮世絵をかき分けて見つけコレクションしていたのですから、当然ファン・ゴッホ美術館に残っています。
最近、そのコレクションをファン・ゴッホ美術館はネット上に載せましたので、ファン・ゴッホクレポンコレクションを見ることができます。

ファン・ゴッホ美術館のクレポンコレクション☟

また、オリジナル(フランス語)のファン・ゴッホの手紙(アルルからテオ宛)には25か所もcreponsが出てきます。
それでも、研究者や作家はクレポンを無視しています。
日本人の権威のある人で注目したのは妹尾教授だけなのです。

(ゴッホ書簡ベルナール宛 書簡B2 アルル1888年3月) 587
この土地が空気の透んでいることと明るい色彩効果のために日本のように美しく見えるということからはじめたい。水が風景の中に美しいエメラルドと豊かな青の斑紋を描いて、まるで、錦絵の中で見るのと同じ趣だ。
(French)
ayant promis de t’écrire je veux commencer par te dire que le pays me parait aussi beau que le Japon pour la limpidité de l’atmosphère et les effets de couleur gaie. Les eaux font des taches d’un bel éméraude et d’un riche bleu dans les paysages ainsi que nous le voyons dans les crepons.

19世紀のファン・ゴッホやセザンヌの絵の評価と似ていると思いませんか。
一般人は権威者の言う絵を褒めます。
19世紀ならアカデミー絵画です。

ファン・ゴッホの時代の代表的なアカデミー絵画☟ウィリアム・アドルフ・ブグローThe Little Shepherdess (1889)

値段の高い絵、美術館に飾られる絵はみんな権威の絵です。
つまり、セザンヌもファン・ゴッホも19世紀は誰もが認め無い絵でしたが現代は権威の絵ということです。

現代においてセザンヌやファン・ゴッホの絵を褒め讃えるのはそこに権威があるからなのです。
そうはいってもほとんどの人がクレポンを知らないのでクレポンを分からない人は芸術を理解していないとは言えません。
実際、19世紀のヨーロッパでもファン・ゴッホやセザンヌの絵を知らない人ばかりでしたから。
また、知っている人もファン・ゴッホやセザンヌの絵はあまりにも斬新なので認めてはいませんでした。
ファン・ゴッホに至っては家族も理解していないがためにリヤカーいっぱいのファン・ゴッホの絵が家族によって捨てられたのです。
それに比べるとクレポンを初めて見た人の一部はクレポンの素晴らしさにほれ込みます。
何故なら色彩が浮世絵より鮮やかだからです。

ファン・ゴッホ美術館のクレポンは鮮やかには見えませんが、それはファン・ゴッホがクレポンを壁に飾っていたために色が落ちてしまったからです。
ファン・ゴッホはクレポンを愛していましたから大事にしまっておくというわけではなく、常に見ていたいから壁に飾っていたのです。
その時のクレポンの値段が3スー(150円)だったので気楽に飾ったのだと思います。

          大判浮世絵とクレポン☟

クレポンとは浮世絵を特殊な技法で縮め手触りが布のような感じにしたものです。
現代のペーパータオルを精密にしたようなものです。
この技法は明治時代に紙ナプキンなどを造るのに採用されましたし、クレープ紙(縮れた紙)もヨーロッパで人気でした。
そして、その再現を現代でもいくつかのところがしているのですが、江戸時代の末期と明治の初めの頃の全盛期のちりめん浮世絵は再現できていません。
粗悪に造られたちりめん浮世絵までは現代でも再現されています。

下のような粗悪なクレポンは再現できています。

しかし良いクレポンは再現できていません☟

良いクレポンを見ればあるパーセンテージの人はクレポンの良さを理解します。
だから
認めるのに、19世紀のファン・ゴッホやセザンヌより、かなりハードルは低いのです。
それでも長い間、クレポンは浮世絵界、ファン・ゴッホ研究者から見捨てられていたのです。
一部の愛好家が10枚以下のクレポンの展示は少しはあったようです。
しかし、大きな浮世絵美術館は完全に無視をしているし、クレポン自体所蔵していません。
浮世絵を3万7千点以上所蔵しているボストン美術館を2万点くらい調べたことがあるのですがクレポンは1枚しかありませんでした。
つまり、浮世絵コレクターたちもクレポンの存在を知らなかったのです。
アメリカやヨーロッパの大きな美術館の浮世絵コレクションは大半が浮世絵コレクターからの寄贈ですから。
それはある程度仕方がないことで、江戸時代まではクレポンは素晴らしい芸術品だと前衛芸術家たちに思われ大事にされていたのですが、明治時代以降、粗悪なクレポンが輸出用に造られ、それが1枚デパートなので10サンチーム(100円)で売られていたので相手にされていなかったのです。
また、クレポンを造るのにはお金がかかったので、金持ちのコレクターがわざわざ造っただけなので、数がもの凄く少ないのです。
ただ、輸出用に造られたのは安易な造り方なのでそれなりの数は造られたみたいです。
造られたみたいと言うあいまいな表現は、これを収集したファン・ゴッホのコレクションしか他では見つからないからです。
安くて粗悪なクレポンのため、ほとんどは捨てられたのでしょう。
そして、現存しているとしても、そのようなクレポンは浮世絵の仲間に入れてもらえないために、正規な浮世絵商のルートから外れ、ヨーロッパの蚤の市などで見かけるくらいしかないからです。
ファン・ゴッホはこのクレポンの貴重性と価値を誰よりも知っていました。
だから
書簡511に書かれている、1万枚の版画からクレポンを探した、そして、クロード・モネの絵もクレポンと交換できるかもしれないとテオに手紙を出すのです。

『いま手許にあるものにも、たしか1枚5フランのものがある。オランダの絵の売立てのとき面白いのが混じっていてトレがまごまごしてしまったように、あの1万枚の版画の山をひっかきまわすのにのぼせてぼくは思いどおりに選べなかった。
(French)

Il y a des feuilles deja que nous tenons qui certes valent 5 francs. Mon dieu je n’ai pas pu comme je voulais car j’en étais si enthousiaste de ce tas de dix mille crepons à fouiller que Thoré d’une vente de tableaux hollandais dans lesquels il y en avait d’interessants.
それにそうすれば、クロード・モネや他の絵が手に入るかもしれない。きみの方で版画を掘り出す手間を惜しまなければ、あの画家たちの絵と交換できるはずだ。
だけどバンとの関係を切ること、それだけは絶対よくない。日本の版画は立派なもの、ルネサンス前期の絵画、ギリシャ絵画のように、古いオランダ絵画やレンブラント、ポッテル、ハルス、ファン・デル・メール、オスターデ、ロイスダールのように立派なものだ。〈それは時代によって古びない〉。
とはいえもしもぼく自身がバンの支配人に会うとしたら、版画の愛好者を見つけようとやっさもっさすれば思わずまる1日潰れてしまうし、売れようと売れまいと結局金銭的にこちらは損をするといってやろう。
(French)
Puis cela te procurera un Claude Monet et d’autres tableaux car si toi tu prends le mal pour dénicher les crepons tu as bien le droit de faire des échanges avec, aux peintres contre des tableaux.
Mais en finir avec nos relations avec Bing, oh non cela jamais.
l’art japonais c’est quelquechose comme les primitifs, comme les grecs, comme nos vieux hollandais Rembrandt, Potter, Hals, v.d. Meer, Ostade, Ruysdael.
cela ne finit pas.
Si toutefois moi je voyais le gérant de Bing je lui dirais que lorsqu’on se donne du mal à trouver des amateurs pour ses crepons – on y perd sans y songer sa journée et qu’au bout du compte quoi qu’on vende ou qu’on ne vende pas on y perd de l’argent.
(English)
Then that will get you a Claude Monet and other pictures, because if you take the trouble to ferret out theprints, you have a perfect right to use them as exchanges with painters for their pictures.But to wind up our connection with Bing, oh never! Japanese art is a thing like the Primitives, like theGreeks, like our old Dutchmen, Rembrandt, Potter, Hals, Van der Meer, Ostade, Ruysdael. They never passaway.If, however, I were seeing Bing’s manager, I should tell him that when we give ourselves the trouble offinding purchasers for his prints, a whole day is gone before we know it, and at the end of it all, whether wesell or not, we lose money on it.

つまり3スー(150円)しかしないクレポンだけど、その貴重性からモネがクレポンを知ればモネの絵と交換してくれるかもしれないとファン・ゴッホは考えたのです。
ファン・ゴッホはクレポンを宝物と同じように考えていたのでしょう。
しかし、日本の浮世絵商たちが生まれた明治時代の初期に、粗悪なクレポンがヨーロッパに輸出されたために、良いクレポンを知らない浮世絵商たちはクレポンのことを「あれは後版の玩具だ」と言い、それが現代でも浮世絵商に伝言され、その浮世絵商の言葉を信じた浮世絵コレクター達もちりめん浮世絵(クレポン)を無視したので浮世絵界ではちりめん浮世絵は浮世絵の仲間から外されているのです。
海外は浮世絵とクレポンの違いが判らず、クレポンを浮世絵の別名くらいにしか考えず(実際、英訳、日本語訳はそうされている)誰も研究対象にしていないのです。
しかし、オリジナルのファン・ゴッホの手紙を読めばクレポンの重要性が分かるはずなのに、誰もそれに気づかなかったのです。
それに気づいたのがファン・ゴッホと妹尾教授だということです。
そしてもう一人ヴィクトール・ショケのような人を私は知っています。
それは私の友人の福ちゃんです。
福ちゃんは無農薬農業を一人で何十年もしています。
一人でしているために、造るだけで精一杯で、売る流通ルートは農協とか無農薬野菜や米を集めて売っている業者だけです。
農協では、下手すれば農薬野菜よりも安い価格になります。
農協は無農薬だから高く仕入れるとはなっていません。
見た目で判断されます。
無農薬は見た目は悪いですからね。
無農薬専門業者も高く買ってくれるわけではありません。
だから、年収は日本の平均年収よりも大きく下回ります。
そんな福ちゃんが20年くらい前にクレポンに出会いました。
福ちゃんはいっぺんにクレポンにほれ込み、浮世絵店やネットオークションで見つけては買っていました。
この辺はとてもショケに似ています。
最近は、コロナによりクレポンも例年以上に出回るようになり、それを福ちゃんは稼ぎのほとんどを使い買っています。
おそらく妹尾教授のコレクションに負けないコレクションを形成しているはずです。
私も一度見に行きたいと思っていますから。
ショケは1891年に亡くなります。
彼がコレクションしたバルビゾン派の絵は高騰していましたがセザンヌはまだ認められていませんでした。
だから己の審美眼の証明の時代までは生きられませんでした。
ファン・ゴッホと同じです。
これは妹尾教授も同じです(没:平成19年(2007年)3月16日、享年80歳)。
はたして福ちゃんやクレポン研究家の私も同じ運命なのか、それとも……

『江戸の華 浮世絵展~妹尾コレクション・ちりめん絵の世界~』から妹尾教授の論文を抜粋して載せます。

【木版刷の浮世絵を丸棒に巻きつけて押し縮めたものを、織物の縮緬に似た「しわ」が寄っていることから「ちりめん絵」と呼ぶ。当初は手揉みであったといわれるが、時代が下がると揉み台を使用するようになった。この揉み台を使った作業の様子は、『紙工芸技法大辞典 下』(東陽出版・1981年)に「もみ紙(ちろめん紙)を作る」と題して写真入で紹介されている。ここではその概略を紹介する。
先ず最初に、ちりめん絵の「しわ」を付けるためには、型紙が必要となる。この型紙は、①縦に細かい溝を彫った木型に湿らせた紙を密着させて窪みを付けてから木の棒に巻き付ける。②棒に巻いた紙を押し縮める。③押し縮めた紙を開き、柿の渋を塗って乾燥させる。という工程を何度も繰り返すことにより完成する。
ちりめん絵作りは、型紙と縮めようとする浮世絵を交互に重ね合わせ、型紙の時と同様に押し縮めるという作業を繰り返す。この時、紙の向きを縦横斜めと変えながら縮めていくことで縮緬のような細かい「しわ」や手ざわりが生まれる】

上のようにちりめん浮世絵(クレポン)の作り方を説明しています。
この説明を読めば良いクレポンの価値を誰もが分かると思います。
金持ちの道楽でないと作れないのです。
それを
安易な手順で作った機械化したのが粗悪なクレポンとちりめん本です。

【「ちりめん絵~もう一つの浮世絵~」
ちりめん絵のアプローチ
本展覧会の主題とする「ちりめん絵」を鑑賞するに先だって、まず「ちりめん絵」とはいかなるものなのか、多くの人達は観たことも聞いたこともなく、想像することさえ難しいと言うのが実情であるかも知れません。最近に至るまで各地の博物館、美術館、民俗館などでもこの種の展覧会を集中的に開催したことは全くないようです。勿論浮世絵展や民芸展などでは極く一部分の展示がおこなわれていたことはあったと思いますが、その評価は殆んどなされていないようです。
この「ちりめん絵」とは如何なるものなのか? 簡単に説明すれば、およそ江戸時代末期から明治中期(19世紀後半)に至る間に板行された浮世絵版画に人工的特殊な加工技術を加え、かなり厚みや深みをもつ美麗な民芸的要素を包含したもう一つの技法を加えたものを呼称するのであり、およそ天保年間(19世紀中葉)以降に作製されるようになっています。それは浮世絵版画が世界に誇り得る芸術作品と評価されているのと同様に、これを高く位置づけてみることは当然のことと思考されます。】


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