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スタンドニュー太閤(大阪・上本町)

一人飲みなんて久しぶりだ。年明けの3連休の初日。誰かと飲みたかったが、いつの間にか気軽に誘える友人がほとんどいなくなっていたのに気付いた。結婚生活と社会人学生生活で人付き合いをおろそかにしたのもその理由の一つだが、何より31歳の女の多くは小さい子供を育てているのだった。年始に一泊だけ、離婚以来初めて実家に帰った。父親は怪訝な顔をしてあまり口を利いてくれなかったが、昔から私の味方をしてくれる母親は、「でも、カナちゃんはお仕事頑張ってるんやし」とフォローしてくれた。けれど実際、仕事も中途半端だ。安定した仕事を捨てて学位まで取って興味あることに手を出したけれど、何か大きいプロジェクトを自分の力でやり遂げたことなんてないし、惰性でぬるっとできることをこなしているだけのような気がする。だから、逃げたのだ。「誰かの彼女」とかいうポジションに。

外で飲みたいという気持ちは昂っていたので、元々有名な結婚式場の料理長だったというシェフがオープンしたハイハイタウンの立ち飲み屋に入った。確か、その式場には一度見学に行ったことがある。長谷川さんの心地よいところは、過去の結婚の話をしても、相手も同じだから問題ないというところ、それくらいだ。

白子を食べたくて店に入ったけれど、他のメニューにも目移りする。まずはハイネケンとれんこんのアンチョビバター、鶏レバーのムースを頼んだ。値段もお手頃でポーションも小さく1人客にも優しい。れんこんの歯ごたえの後に来るほのかな甘味とアンチョビバターのしょっぱさがよくマッチしていて美味しい。鶏のムースも、350円という値段ではありえないまろやかさに、つい顔がほころぶ。食べログでもインスタでも、「大阪で一番美味しい立ち飲み」などと絶賛されていたが、レビュー通りだ。今度は耕平も連れてこようかなと思ってしまったのは、この前の小旅行で長谷川さんへの違和感がより強くなってしまったからだろうか。

地元の名士のお嬢さん、と言われ何不自由なく育ったけれど、別にうちの家は特別キラキラしているわけでもわかりやすく裕福なわけではなかった。大学に入って、当たり前にハイブランドのバッグを持っている内部生や京阪神の私学出身の同級生には引け目を感じていたし、この前長谷川さんが用意したようなスイートルームになんて泊まったことあるはずがなかった。ただ大きいだけの古くて暗くて寒い家が、これまた寒くて暗い田舎に建っているだけだった。たまのお祝い事の時は家族で地元では有名な旅館や料亭で食事なんかはしていたけれど、外食だって珍しかった。今、都会で好きなように生きていけているのは、もちろん、わが子に自由に進路を選ばせてあげるだけの親の財力がなければ難しかったかもしれないが、自分の力によるものが0であるはずはないと思っている。けれど、長谷川さんは何かにつけてしつこく言うのだ。「カナちゃんは、良いとこ育ちだからね」と。

お目当てにしていた白子のソテーと白ワインを頼む。そう。白子だって、18歳までは食べたことがなかったのだ。大きな白子の焼き目が食欲をそそる。口の中に入れると、ふわりととろけた。続けてワインのかすかな苦みを押し込む。美味しい。iPhoneを見ると、長谷川さんからLINEが入っている。「明日の店、ここで良い?カナちゃんに会えるの楽しみにしてるね」

つけあわせのジャガイモも美味しいなと味わいながら、もう一つの違和感を思い出した。長谷川さんの愛情表現は、どこか子供っぽい。いや、愛情表現が多いのは良いことだし、嬉しくはあるのだが、初めて恋をした中学生みたいな、童貞を捨てたばかりの大学1回生みたいな青さがあって、車の中でかけていたbacknumberの歌詞のような彼の言動は、30を過ぎた私には少し恥ずかしかった。たかが飲み屋でナンパした女相手に、出会って1か月でよくここまで本気な素振りを見せれるなと、ある意味感動する。別にこの関係は、耕平みたいにずるずる続くだけのものでも良かったのに。再婚や子どもを望んでいるわけでもないのに、所詮彼氏だ彼女だとか言っても、安全で定期的な性行為と暇つぶしの相手でしかないのに、心の奥底では私の出自を妬んでいるくせに。

カウンター奥に並ぶ短冊にまた目移りする。「まかないカレー」の文字が気になり追加でオーダーした。少し甘めのキーマが添えられた薄いバケットに合う。「美味しそうですね。待ち合わせは直接お店で良いですか?」さっき届いたLINEに返信する。そうだ、食事の店も毎回長谷川さんが決めてばかりだ。私に選択肢もくれない。料理もコースばかりで私に選ばせてくれない。全部払ってもらってる立場だから何も言えないが、これじゃ今流行りのパパ活女子と何ら変わらない。もう30代なのに。自分の足で立って生きていけてるのに。こんな文句ばかりなのに、楽しみですと装ってしまうのは何故だろう。やはり、私が空っぽだからだろうか。

最後の一杯を飲みながら、コロナ前に「ロンドンに行く」と言ってお別れしたきり会っていない高校時代の友人を思い出した。千歳に会いたい。SNSをしていない彼女の近況は、直接やりとりしないとわからない。もう日本に戻ってきているだろうか。けれど、今彼女に会ったら情けない時分にやるせなくなってしまわないだろうか。高校生になってもはびこるイジメや恋愛、周囲の噂なんかに流されない千歳は、ずっと私の憧れだった。


スタンドニュー太閤
大阪・上本町ハイハイタウン
立ち飲みバル
口コミ一覧 : スタンド ニュー太閤 - 大阪上本町/立ち飲み [食べログ] (tabelog.com)

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