どうしても強い人間にはなりたくない話

こういうのは命日に書くのが普通かもしれないけど、頭の中にあったものが今はっきりとした言葉で浮き上がってきたから忘れないうちに。

2021年の5月31日に癌で母が他界して、もうすぐ2年になる。
珍妙で少々複雑めな家庭を築いて、家族のしこりもたくさん残したまま、親孝行の一つも待ってくれなかった。

永眠する前日に、寝たきりの母に完成したワタリクジラを見せたり、愛してるよって初めて伝えたり、救急車の中で「今日すごい晴れてるで」とか薄らポジティブな言葉で励まそうとしたり。
母が虚な目で「なんで泣いてるん」と聞くから必死で「泣いてない、笑ってるよ」って無理もしたり。
当時の恋愛相談なんかもしたら、母は「郁希のままで大丈夫」とか元も子もないことを言われた。
2年しか経っていないのもあって、まだ記憶は比較的鮮明に覚えてる。

正直、今も心の整理は全くできてないと思う。
しっかり思い出してしまうとしばらくは何も手につかないくらいは泣くし、強がろうとしたところで不器用なまでに綻ぶ。

実際、未だに僕が母を殺したようなものだと思ってる。正確には、ずっと母の近くにいたのに癌や精神病を引き起こす原因をつくって、支えきれなかった人間の一人という認識。
筋金入りのポンコツ故に、真っ当な大人に慣れない焦りや負い目、自分が抱えている人間性の問題なども相まって一瞬で周りが見えなくなる日もまあまあある。

ただ、僕はとても運が良かったのか眩しいくらい善良で寛大な人たちに恵まれていたおかげで、非行などに走ることもなく今もヘラヘラしている。
足を向けて眠れないほど感謝しているけど、おそらく直立か倒立でもしないと眠れなってしまいそう。
なので足を向けてしまうのは許していただきたい。

今もまだ消化しきれないなりに向き合ってるし、これからも向き合うつもりでいる。

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郷愁に浸ったところで、そろそろ本題に入ろうと思う。とはいっても内容は少ないし、再自認と覚悟を残したいだけである。

生まれてきてまだ24年弱しか経っていないが、僕としては結構長く生きているつもりでいるし、色々経験してきたと多少は思っている。

当たり前ではあるが、いっぱい傷ついたり立ち止まったりした。母のことも現在進行形で起きている問題も胃腸をしっかり攻撃してくる。
とてもじゃないけど、僕にとって常に平静を保ち続けるのはやや難しい。

強い人間になれば少しは楽になるかもと思ったりもした。
ただ、どうしても強い人間になりたくない。
僕は明確な使命や目標を掲げて屈強に勇ましく突き進むタイプでは全くない。
その生き方を自分でするのがあまりにも好きじゃない。
良い悪いでも正解不正解の問題でもなく、ただ単純に好みの話である。

どうしても強い人間になりたくない。
別に弱い人間になりたいわけではない。
強くなろうとするとどこか鈍くなってしまいそうで怖いという気持ちもある。

「深めて、少しでも周辺のことに気がついて、できるだけ丁寧に拾い上げて、アルカイックスマイルをかましながら挽きたてのコーヒーを嗜んでいたい。」

これをどうしても書きたくて、長めの前置きを書いたと言っても過言ではない。
書きたい言葉が書けたので満足。

ここまで読んでくださった方はきっと僕が足を向けて眠れなくなるほど優しい人だと思うので、最後にとても迷惑な僕のお願いを軽い気持ちで聞いてください。

読んでいただいた通り、僕は強い人間ではありません。今後強い人間になる予定もありません。
えらそうになれることではないですが、僕はかなり不器用なので人に頼ったり甘えたりするのもあまり得意ではありません。

だからいつどこでかは分かりませんが、頼らせてください。甘えさせてください。
いつでも、ほんの少し気が向いた時にでもいいので、かまってやってください。
見返りをすぐに渡せる保証はないですが、受けた恩は必ず返す人間であることは約束します。

とても迷惑なお願いなので、スルーでも問題はありません。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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