ちょうど時間となりましたの歴史

 これは発熱話の間に挟む予定だった。引き延ばすのを忘れて、せっかちなので発熱話をさっさと終わらせてしまったのでここに供養する。
 
 浪曲文化も一瞬、復活するかのようにみえたが、あれは浪曲が復活したんじゃなくて国本武春個人の才能。 

 今後も復興することはないだろうなあと思う演芸に浪曲と講談がある。落語はなんとか続くだろうが個人的にみるとやっぱりかなり厳しい。共通点ははじまりから完結までが長い。文化財的には残るだろうけど、補助金その他がなければ消滅していくんだろう。もうすでに講談社くらいにしか「講談」の文字を目にしたり音を聞いたりすることもない。そのうち、講談社の意味も通じなくなる。

 私の子どもの頃は浪曲師あがりのお笑い芸人タレント歌手漫才師が山ほどいた。そのころすでに浪曲一本では食えなくなってきた証拠、玉川良一イエス玉川玉川カルテットあたりの年代が分かれ目の目印になるかもしれない。なんで玉川なのか子どものころはわからなかった。さがみ三太・良太の「相模(さがみ))も同じ。三波春夫も浪曲出身。そのあたり、もう浪曲はテレビでもラジオでもやらなくなっていた。
 すでに演芸としては落ち目になっている浪曲師の舞台を何度か観にいった。クラシックのコンサートはいまももう私が若手くらいの高齢層だらけなのは行くたびに確認してたが、二十歳くらいの私が出かけた浪曲公演は比べ物にならないくらいの高齢者ばかりだった。私を連れていってくれたその祖母が明治生まれだから、「自力で動けるギリギリの年寄りばかりあつめました!」みたいな客席だった。空きテナントに吸い込まれて怪しげなものを買わされる老人どもよりずっと老人。
 で、実際ライブのそれは、それほどでもなかった。昔の音源の方が面白い。

 昔の音源その他を浪曲初心者の親しい人に紹介した。彼女はとても気に入ってくれた。毎回聞いた演目の感想を知らせてくれた。ほぼ現代ポリコレに寄り添う気のかけらもないそれらはそういう時代のものだというのを割り引いて聴くしかないがそこまでして残すべき芸能とも私は思わない。

 例えば浪花亭綾太郎の名前はもう誰も知らない。ただ「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」あたりは子どもの頃にいろんなもので使われていたので、私くらいまでの年齢の人らはこのフレーズを知っている。もう若い人はかけらも知らないしらなくてもいい。もっというと、ここにも本来は注釈がないといけない。「夫が妻をいたわり、妻が夫を慕う」のが当時の男女婚姻関係の基礎みたいなもんに思われていたが、そこが逆になっている、つまり、この出だしだけで「この夫婦、なにか事情があるのだな」が予想できたのが当時。なwww滅んでいいレベルのもんだろう。そういうものがあった、と資料で残っていればよい。現役の浪曲師や講談師の方々には申し訳ないが、まずきっと復興は無理だ。
 その彼女が、
「カワイ!なんで浪曲というのは一番知りたい結末の直前で「ちょうど時間となりました」で終わるの?あの後を知りたいじゃない!どうすればいいの?」
と訊いてきた。昔の音源でみつけられないらしい。
「wwwまんまと講談や浪曲の術中にはまって彼らの思う壷にはまってとてもよいwww『水滸伝』もそう、これからどうなる!の前でぶった切って次回は、となる。基本的に長編語り物は次を知りたい観たいで製作されてるではないか、今までみてきたテレビの恋愛ドラマを思い出すといい不良少女とよばれた系大映ドラマを思い出してみい山口百恵の赤いシリーズを記憶から掘り起こすといい、おい次はどうなる、の直前で「次週は」になるだろう、それだ」と伝えた。
 とてもよく納得してもらえた。あの直前でぶった切って「ちょうど時間となりました」には数百年の伝統があるのだ。

 

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