予備校時代のことを思い出した
バスに乗ってお金を払いにいった。大金だった。ジャケットの内ポケットに入れていた。同じ高校の仲間も一緒に乗っていた。浪人はそこらにごろごろいる時代だったので引け目は感じなかった。
現国の講師は京大の理系学部を卒業した人だった。最初の講義で自分がどのくらい本を読んできたのか、引っ越しの時にトラック〇台分の本があった、などとマウントをとってきた。18やそこらの私なら十分おどせたが、今思い出してみると「蔵書自慢の割には全く魅力のない、面白みのないしゃべりであったな。」と感じる。彼の講義にはしばらくしたら出なくなっていた。覚えているのはその本読んだ自慢と五木寛之の「新作落語はなかなかいい」みたいな文章の説明で「古典落語の方がずっといい、五木寛之はあまり頭がよろしくない」と言ったことくらいだ。
もう一人の現国の講師は川村一馬という初老の人だった。ベシャリのレベルは最高だった。私の受講コースの現代文のほかに、東大現国も担当していたので、もぐって話を聞いていた。即効性がないからなのか、徐々に受講生の出席は減っていった。私は最後までもぐってきいていた。何回目かの講義で「私はルイ・ジュヴェに似てると言われた」と言っていた。周りの受講生はあまり反応しない。私は「おお、似てる似てる、かなりそっくり!」と声をあげたかったがそこで悪目立ちするのも恥ずかしいので黙っていた。いまなら「このクラスでルイ・ジュヴェを知ってるのは私ぐらいだわ」とかいいながら肩をもんでやりたいところだ。
講習の時の現国には森久がきた。森島久雄という名前なのはずいぶん後になってから知った。ウィキペディアにも項目があった。彼の『中野重治の「おまえは歌うな」の構造分析』は子供の私には神業にみえた。これでなんでも読めると私は勘違いした。今思えば、あんなわかりやすい詩でドヤ顔していた彼にまんまとひっかかったのだ。私も結構成長したものだ。
古文漢文の講師も覚えている。私は古文漢文がまったくわからなかった。きっといま聞きなおしたらいいこと言ってたんだと思うが、私には全くわからなかった。
英語は桐越と中村稔。中村稔は人気で講習は即日満員受付終了になった。桐越の方は芸に頼らない堅実なタイプの人だった。中村稔の音声はyoutubeにもあがっていた。たしかにこの声だ。
バイクで通学していた。予備校の駐輪場にはバイクを置くところがちゃんとあった。私は原付50ccで友人も大体そうだった。浪人のくせに400ccくらいのいいバイクに乗ってきている連中も結構な数いた。
人気講師の教卓には毎度缶コーヒーや缶ビールが並んでいた。講師に対するおひねり、投げ銭のようなものだったと理解している。一本二本じゃない、十数本並ぶ。学生はタニマチ気分も味わいたかったのだろう。今考えるとおかしな空間だ。
現国の問題文に三島由紀夫の『真夏の死』があった。なかなかキャッチーな部分を抜粋していた。一階には予備校内の書店があった。今のコンビニの2倍くらいの広さがあったかもしれない。その三島由紀夫の本はその週のそこの書店でのベストセラー1位になってた。大体問題文で面白そうなのがあったらみんな買ってたようだ。私は三島由紀夫と川端康成が大嫌いなので買わなかった。
宣伝しなくても客のくる状態だった当時の予備校の事務の態度は本当に悪かった。小役人根性の窓口の若い女にむかついたのは一度や二度ではない。
人気講師の教室はもぐりも含めて大教室に座る場所がなくなった。だいたい学生は教壇にむかって凹字形で教室に座るが、当時の予備校のそれは違った。最前列から埋まっていく。座席取りのようなこともやる。教壇のところにあぐらをかいて床にノートを置いて受講している学生もいた。当時はそこそこ珍しかった携帯できるテープレコーダーを持ち込んで講義を録音しているやつも大勢いた。いまyoutubeに上がっている当時の講義音声は彼らが録音したものだ。だいたい録音して繰り返し聞いてたやつは稀だろう。録音して安心して二度と聴かないのだ、きっと。
最前列に毎回座ったり、最前列をとるためにパチンコ屋の新装開店のようにシャッターのあく二時間くらい前から並んだりとかしている学生は、その行為がお守りのようなものだったのかもしれない。これだけやってんだからいい結果が出るだろう、みたいな。もう呪術である。変な空間だったな。
入学式もあった。中島スポーツセンターの巨大体育館で行われた。地元テレビが取材に来てその日のニュースになっていた。彼らはカメラを浪人生に向かってまわした。普段は映りたがりで最前列で変顔するような私もこの時は後ろを向いた。そんなニュースで私が消費されるのはたまらん。
以上、これはその入学式で当時の代ゼミの理事が「うちの学校の玄関マットはすごい。NASAで採用された最新鋭のものだ」みたいな祝辞をいって「このバカなに言いだしてんだ、救いようのないバカだな」と立腹してそのまま立ち上がり帰り支度をしてしゃべってる途中で帰った、というツイートをしたのに関連して思い出したものである。
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