もうバルタン星人とは書けない
幼稚園には合計二年間通っていた。年度末の文集のようなものに、将来の夢、みたいなのを書くところがあった。大昔なので、女の子はお花屋さんとかケーキ屋さん、男の子は野球の選手とか〇〇の運転手と書く連中が多かった。私は不思議だった。いや、花屋とケーキ屋はわかる。大昔は女の子≒花みたいなところがあった。ケーキ屋はきっとケンちゃんだろう。料理≒女の子みたいなところがあった。大昔の話だ。まだ日本人が棍棒をもって動物追いかけてた原人時代なのでそう目くじら立てなさるな、今思うと本当に原始人どもだったなと思う。
男の子の「野球の選手」がよく理解できなかった。野球のルールをしったのは小学校にあがって数年経過してからだ。ルールも知らんものに憧れるわけもない。
幼稚園一年目のそれには「バルタン星人」と書いた。将来の夢、なりたいものがバルタン星人。なかなかよいセンスだと思う。
そのセンスも、幼稚園二年目に「特に将来なりたいものなど皆目見当もつかない、これからあがる小学校というものさえなにかもわからんのに、そのはるか先のなりたいもの、なんて、思いつきもしない、さて困った、特になりたいものなどないのだ、というか、大人になった私が何をしてるといいのか、幼稚園児の私にはどのくらい世の中に仕事の種類があって、というのもわからない。ああ、そうか、公的な場所に書くやつだ、大人が読んで理解できるようなものをかいておけばいいのか的処世術を二年目で身に着けてしまった私はもうバルタン星人とは書けない。「野球の選手」と書いて提出した。くだらん、人の目を気にしてそう書いた私を恥じる。太宰治の人間失格シシマイは子どもの頃、ほぼ全員が経験してる。
小学校六年の卒業文集には「金持ち」と書いた。そのくらいになると、職種の多さは知らんが、金さえあればなんとかなると思ってたんだろう。ある種、正解だと思う。野球はしてたがプロ選手になろうとは思ってもいなかった。