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みらく 【1%も知らない鮨処】 伊丹奥畑店
知る人ぞ知るなんぞは生ぬるい。
本日は神のみぞ知る名店を紹介しよう。
尼宝線の生き証人
兵庫県尼崎市と宝塚市を結ぶ大動脈といえば「尼宝線」だ。
この尼宝線沿いに、
1969年から雨の日も風の日も、軒を構え続けている定食屋さんがある。
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イオン昆陽という化け物ができても決して屈しない。
食べログに乗らなくてもまったく動じない。
営んでるのは老夫婦だから、コロナにはビビってたけど、最近ではもう大丈夫。
近くにスタバが出来ても、気が付かないから関係ない。
これは余談だが、
1969年に「みらく」が開業したときに尼宝線はまだなく、
「地下鉄ができるから」という行政の口車にまんまと乗せられてここを終の住処に選んだのだそうだ。
結局、
地下鉄は通らなかったため、ここら一帯は「陸の孤島」となった。
これは伊丹〜尼崎周辺住民にもあまり知られていない豆知識である。
鮨処か定食屋か?/世紀を超えた神学論争
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ランチもディナーもメニューは単純明快。
本日のおまかせを枢軸に定番メニューが脇を固める。
どれを頼んでも1000円に届くことはない。
「お値打ちですよ」を地でいき周辺住民にも親しまれている老舗である。
画像自粛
アンティーク調の木目を中心に、計算されつくした調度品が所狭しとこちらを見つめている。
「巨大な中央演算装置付き電算機」がプレモダーンな雰囲気を醸し出し、とても老夫婦だけで切り盛りしているとは思えない。
こんなふうに、我が家でくつろぐようにパシャパシャやっていても眉ひとつ顰めることはなく、好々爺は暖かい目で私を見守ってくれていた。
フィナンシャルリッチ御用達
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みらくがフィナンシャルリッチの0.01%に選好される理由の一つは、野菜がたっぷりと取れること。
野菜、野菜、野菜と、給食のおばちゃんのように見るからに口うるさい。
薄味でいかにも体に優しく、それでいて滋味が遅ればせながら喉を通り抜けてくる。
ここらもフィナンシャルリッチの0.001%が重宝する理由だ。
ご飯は少なめだが、おかわりの是非は藪の中にある。
あまり市井には知られていないが、
フィナンシャルリッチの0.0001%たるものはお替わりなんぞしないのだ。
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最寄駅が徒歩40分近い阪急武庫之荘駅となるため、車での来店がベターとなるが、その点でもみらくは抜かりがあるわけがない。
専用駐車場は2台あり、イオン昆陽店の駐車場とアウフヘーベンさせればなんと1000台超の収容能力を誇る。
これだけのキャパを誇る場末の定食屋があろうか。
これもまたフィナンシャルリッチの0.01%から猛烈に支持される所以だろう。
0.1%のための衛生管理
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消毒液は3種類を使い放題。
どんな悪玉菌もパーフェクトな除去が可能だ。
ここにもフィナンシャルリッチを吸い寄せる魔性が垣間見られた。
画像では捉えきれなかったが新聞各紙も読み放題であり、左右両軸の如何に関わらずインテリジェンスに研鑽を積むことが出来る。
ここにもフィナンシャルリッチが足繁く通う所以があるはずだ。
パーソナル鮨処
座席数はすべて合わせて10席といったところ。
テーブル席が一つと膝が付き合うカウンターが5席ばかり。
どの席に座っても、老夫婦の講釈で研鑽を積ませていただける。
昭和、平成と長年の風雪にもバブルにも耐えてきただけあって、会話の引き出しは潤沢で決して飽きが来ることはない。
中でも「〇〇さんが夜逃げした話し」は白眉。
100回ぐらい聞かされたわ。
この講釈のために遠方よりわざわざ「みらく」を訪れるフィナシャルリッチも少なくない。
1969
みらくが看板を掲げたのが1969年。
池田勇人首相肝入りの所得倍増計画が成就した年であり、日本が高度経済成長の余韻に浸っていた時代だ。
だが翌年に勃発したニクソンショックや続くオイルショックにより、高度成長は終焉し中成長からバブル崩壊へと傾れ込んでいくことになる。
この激動の中にあって伊丹の人々の胃袋を、雨の日も風の日も満たし続けてきた「みらく」は偉大だ。
1969年から55年を経た2024年の今日も、みらくは伊丹で優しく佇んでいる。
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