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ジーパンを履かない日本人/対米従属レジームの終焉

ジーンズはアメリカ従属の象徴だった。

「ズボンといえばジーパン」

まるで魔法にかかったかのように、戦後日本ではジーンズが選好されてきた。
「戦前の日本人は、まるで魔法にかかったかのように」でお馴染み・司馬遼太郎もジーパンをこれでもかと履いていたことが確認されている。

だがここ10年強で変化が見られた。
日本人がジーパンを履かなくなったのだ。
確かにジーパンを履いている人は、まだ全体の2割弱ぐらいはいるかもしれない。
しかし平成初期の大学生はその8割強がジーンズ着用だったことを思えば、隔世の感がある。

なぜ、ここ10年で日本人はジーパンを履かなくなったのだろうか?

それはアメリカの国際影響力が顕著に低下したからだ。
中国の急台頭によって相対的にアメリカの影響力が低下し、日本人にジーパン着用を押し付けることが出来なくなったからだ。



ジーパンとは? 【従属の象徴】

ジーパンの発祥は1400年代・イタリアの都市国家ジェノバにある。
ジェノバ港では新大陸アメリカに向けて、船乗りたちが荷出し作業を行なっていた。
荷出し作業は過酷であり、ハードな生地が必要になる。
だから、
だからこそジーパンという分厚い生地のズボンがジェノバ港にて誕生したのだ。
ジェノバから分厚い生地で紺色のズボンを履いた男たちが渡った先が、新大陸、アメリカである。
そこで彼らは紺色の相棒と共に独立戦争を戦い、独立を勝ち取った。
だから
だからこそアメリカにおいてジーパンは、始まりの象徴であり、かつ国家の象徴であり続けているのだ。




じゃあ?スーツは?【完全な服従】


ここでは、
「毎日スーツ着て、スラックス履いてるけど?」という足を掬わんとする質問が予想される。

だがスーツはもっと最強にタチが悪い。

Gパンがアメリカ従属の象徴なら、
スーツはブリテンへの完全服従の象徴だ。

スーツのルーツはブリテン島・スコットランド地方の民族衣装であり、
スーツを着ることはブリテン島、すなわちイギリスへの「 服 従 」を意味する。
つまりスーツとは市場経済への隷従をしめす奴隷の衣装なのだ。

服従と知ってスーツを着るのか、
服従を知らずにスーツを着るのか…、

まあここまできたら、もうどうでもいいんじゃね、



対米従属と対米独立という戦後の二極

戦後の日本では、
対米従属路線と対米独立路線が角逐してきた。
対米従属路線が本流ではあったが、
瞬間的にアメリカから独立しようとする機運が強くなった。
その度に、その機運の中心にいる誰かが狙い撃ちされて、対米独立路線は頓挫してきたのだ。

田中角栄しかり、
鈴木宗男しかり、
たぶんおそらく、安倍晋三しかり、

対米従属から対米独立に切り替えた刹那に、「何か」サプライズが起こった。



ジーンズ離れとアメリカ離れ

だがアメリカ離れ・対米独立という世紀をまたいだ大きな潮流には何物も抗えない。
かたや覇権国家・アメリカの国力は徐々にだが確実に減衰し
かたや覇権をうかがう中国の国力は右肩上がりで推移してきた。

そして、今や両者の力は拮抗し、
その事実をアメリカ側が情報統制で抑え込むことすら出来なくなっている。


例えば、
ジーンズはアメリカの対日本における独占商品であり、
長らく高い価格で押し売りできるドル箱商品だった。

そういったアメリカが優遇されている枠組みの㊙️情報。
これを統制することが難しくなってきたのだ。

テレビドラマで日本人にジーンズを着用させ、そうしたものなんだという空気を熟成させる。
こうした空気作りもネットの爛熟によって上手く機能しなくなった。

結果、ジーパンを履かなければならない、
という魔法がとけかかっている。

これが日本の現状なのだ。


日本にジーパンが向かない 108つの理由

ジーパンほど日本の風土に適さないズボンはない。
日本には湿度の高い梅雨があり、とにかく蒸れる。

何が悲しくて、ただでさえ蒸れる国土気候の中で、蒸れ蒸れウェットなジーパンを履かなければならないのか。
何故、平日のリラックスタイムに自分から蒸れを履かなければならないのか。
戦後70年に渡り、なぜこれほどまでに生産性の低いズボンを我々は履いてきたのだろうか。

我々は魔法にかけられてきたのだ。

司馬遼太郎が尖兵になって、
対米従属という魔法にかけられてきたのだ。

そんな小難しいこと書かなくても、
ジーパンって、とてつもなく重いでしょ?

何これって重さでしょ?

誰がすき好んで、こんなん履くねん。

格好悪いし、
重いし、
蒸れるし、
落ち目のアメ公みたいやし、
ブックオフ行っても二束三文やし、

誰がすき好んで、こんなん履くねん。



「 服 従 」から国際情勢が見える

明治の元勲である西周は上手く翻訳したものだ。
「Obedience」は従来の日本語であれば「従属」となる。
だが西周は「服従」と新しい日本語を創造してObedienceを翻訳した。

服を真似する、
服で従う、
それが従属するということ。

「服従」

西周は戦後70年間の日本を見越していたかのように、Obedienceすなわち従属の本質を言葉に込めていた。

まだまだ、
しばらくは、
かつての覇権国家ブリテンが押し付けた市場経済の象徴たるスーツへの服従はとけそうもない。
市場経済はいまも全世界を覆い尽くしているからだ。


だが、もう、
かつての覇権国家アメリカはジーパンの押し付けを日本限定ですらも出来なくなった。
だから、
だからこそ、
アメリカに服従する必要はもうないはずだ。

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