自由を求めて統制に行き着く/BIという売国の弾丸
我々は自由経済によって豊かになった。
20世紀は基本的に自由な経済活動が容認推奨される世の中であり、
その中でいわゆる先進国とその国民はとくに豊かになったのだ。
貧しき者は豊かに、
豊かな者はより豊かに。
貧しき国は豊かに、
豊かな国はより豊かに。
世界全体として豊かになっていく中で、格差や貧困というものはさほど問題視されなかった。
貧しき者も、富める者も、豊かに。
ところが、
21世紀に入ると雲行きが怪しくなる。
世界全体の富のトータルが増加しなくなったのだ。
結果、次のような変遷が起こる。
↓↓ 全体としてワンランクダウン
それまで、
貧しき国民も、貧しき国も、豊かな国民も、豊かな国も、あまねく豊かになっていた世界。
その貧しき側の半分が成長を失ったのだ。
結果、貧富の格差と貧困の問題が浮き彫りになった。
それまでも貧富の格差はあったし、貧困もあった。
だが「未来に向けて豊かになる」という共有意識ですべての国とすべての人が一体となっていた。
そこから「豊かになる」という未来予想図がなくなり、貧富の格差と貧困は永久的なものとなって固定された。
21世紀に入り、
貧しき国と貧しき人は、逆転のチャンスを喪失したのだ。
だから、貧困と格差という問題が逆転不可能になって噴出している。
貧しきは貧しく、豊かには豊かに
21世紀。
もう自由経済に世界全体を豊かにする力は残されていない。
全体を少しだけ豊かにしていく、それが自由経済に残された精一杯の力だ。
豊かな者は、以前のようにドラスティックに豊かにはなれない。
豊かな国は、以前のようにドラステイックに豊かにはなれない。
もし仮に、
豊かな者と豊かな国が、以前のようにドラステックに豊かになろうとすれば、
それはとりもなおさず、貧しき者と貧しき国の絶望を意味する。
現下、1%への富の偏りが喧伝されて久しい。
これは富める者が力づくでドラスティックな豊かさを志向した結果ではなかろうか。
貧しき者と貧しき国の絶望の上にあるドラスティックな豊かさというものに、持続可能性があるとはとても思えないが…
自由を目指して統制に行き着く
自由経済は世界を豊かにできなくなった。
そこで統制経済が首をもたげている。
昨今何かと話題の「ベーシックインカム」がその象徴だ。
ベーシックインカムに統制経済の匂いは薄い。
そう思えるかもしれない。
だがそうではないのだ。
ベーシックインカムこそ最近の言葉でいう「ガチの統制経済」である。
ベーシックインカムの基本構造は下図のようなもの。
国民は個人情報を国家に託す。
その見返りに、国家は国民に最低限の所得を給付する。
これがベーシックインカムの骨子だ。
この先に待ち構える最善の結末をのべよう。
「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どうした」・・・
国民の個人情報を掌握した国家は、その個人情報を利用してインフラやそれに類する社会制度を最適化し、財政が黒字化され、その財政黒字分を最低所得補償分に回していく。
こうして個人情報の掌握と財政黒字増加が同時並行で進行し、最低所得保障制度すなわちベーシックインカムは機能していく。
これが最善の結末。
これでも最善の結末だ。
だが恐らく、
いや間違いなく、
タイにおいて最善の結末は訪れない。
ベーシックインカムという完全なる統制
個人情報というものは、現下世界において高価なカネと変換できる。
AI開発競争において、最も重要なものは人間の個人情報。
「誰が」「いつ」「どういった状況下で」「何を」「どのように」「どうやったか」・・・
人間の行動パターンを分析しAIは発展しているからだ。
だからAI先進国たる中国とアメリカは、世界中の個人情報をめぐり角逐している真っ最中である。
中国もアメリカも喉から手が出るほど個人情報が欲しい。
だから、ベーシックインカムによって入手した個人情報をある国家が米中どちらかに売り渡すというシナリオが俄然現実味を帯びる。
それで一時的に国家は豊かになるが、国民の個人情報を利用したインフラ最適化は出来なくなってしまう。
つまり、持続的な国民の安寧は得られない。
タイのベーシックインカム導入がどういう結末を迎えるのか。
「個人情報」と「AI開発」ひいては「米中の個人情報をめぐる綱引き」という観点から眺めることは、これからの日本をうらなう上で強い示唆となるはずだ。
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