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犬工知能という可能性の芸術 人工知能を超えて

犬の知能を再現しようという試みが急激に進行している。

ネコ????

人の知能を再現しようとする試み、いわゆる人工知能AIは倫理上の問題などがあり早晩暗礁に乗り上げる。
いま倫理上の問題だと書いたが、それ以上に人工知能の暴走リスクを鑑みれば危険すぎる試みなのだ。

そこで「犬工知能」にがぜん注目が集まっている。

人類の親友たる犬。
この親友の知能を再現しようという機運が高まっているのだ。



ん?


猫??


猫は、ないわあ。



真摯であり謙虚であり健気であり、
有史以前から人類最古の相棒であり、よき友である犬の気持ち。
これを我々が理解し再現しようとするのは理の必然だった。




犬工知能プロジェクトの可能性


では、犬の頭脳を再現しようとする試み「犬工知能プロジェクト」にはどんな可能性があるのだろうか。

まず、
犬のことが今以上によくわかる。

これが何をおいても非常に重要だ。

犬工知能をつくるにあたっては、犬の頭脳や気持ちを徹底的に知る必要がある。
だから犬工知能をつくる途上にあって、必ず犬の気持ちを知らなければならない。
したがって犬工知能プロジェクトには「犬のことが今以上によくわかる」という効能がある。

次に、
犬と今以上に仲良くなれる。

これが同じぐらい重要だ。

犬工知能をつくるにあたっては、犬の頭脳や気持ちを徹底的に知る必要がある。
だから犬工知能をつくる途上にあって、必ず犬の気持ちを知らなければならない。
犬の気持ちがわかれば、今以上に仲良くなれる。
したがって犬工知能プロジェクトには「犬と今以上に仲良くなれる」という効能がある。


さらに、
犬が何を言っているのかがわかる。

これも甲乙つけ難いほどに重要だ。

犬工知能をつくるにあたっては、犬の頭脳や気持ちを徹底的に知る必要がある。
だから犬工知能をつくる途上にあって、必ず犬の気持ちを知らなければならない。
犬の気持ちがわかるということは、何を言っているのかがわかるということ。
したがって犬工知能プロジェクトには「犬が何を言っているのかがわかる」という効能がある。


犬のことが今以上によくわかる。
犬と今以上に仲良くなれる。
犬が何を言っているのかがわかる。

犬工知能プロジェクトの効能

少なくとも、
犬工知能プロジェクトにはこれだけの可能性がある。



大切にするから好きになって知りたくなる


「好きになるから大切にするのではなく、
 大切にするから好きになる」

これはよく言われることだが、数少ない世の真理だ。

大切にするから好きになる。

これは人の犬の関係を雄弁に記している。

太古、
犬は生き残るために自分たちより秀でた頭脳を欲しがっていた。
太古、
人は生き残るために自分たちより秀でた牙を希求していた。

結果、犬と人は互いの長所を求めて大同団結を図った。
犬は牙で人を守り、
人は頭脳で犬を守る。

ネコ?


しるかっ!



頭脳と牙の交換取引で始まった人間と犬の同盟関係だったが、
やがてそれは相思相愛なものになっていった。

大切にしたから好きになった。


こうして、犬と人の相思相愛関係は現在に至っている。



好きになったから知りたくなる。

「知ったから好きになるのではなく、
 好きになったから知りたくなる」

といった奴を見たことがないのも当然だ。
いましがた筆者が息吹をふきこんだフレーズだかんね。

しかし、これも数少ない世の真理に違いない。

だいたいがもって、人間も犬も感情が先行して好きになる。


猫?   知るかっ!


よくわかんないけど、誰かを何かを、好きになる。

その後で「…知りたいな…」と思う。
人と犬の関係は、「↑」、今ここである。



好きになるのに理由はいらない
、とは全盛期の河村隆一のフレーズだがなかなかどうして正鵠を射ている。

好きになるのに理由なんてない。

理由はつねに後付けだ。

好きになった理由を見つけるために、好きになった後で相手のことを知ろうとする。


なんか、調子出てきた。
適当に書いてたら、調子出てきた。
全部太字になったがね。




大切にするから好きになる。好きになったから知りたくなる。

世の真理を二つも紹介したが、
その真理二つを掛け算するとこのようになる。

大切にするから好きになる。好きになったから知りたくなる。


なんと、
AI開発がうまくいかない理由をこのフレーズが如実に述べているではないか。

AIを開発するためには対象を知らなければならない。
人工知能の開発であれば、最終的に「人」自身を知らなければならない。
それ以前に、好きにならなければ知りたくならない。
つまり、人工知能開発のためには、人は自分自身を好きにならなければならない。

だが、残念ながら人は自分を好きにはなれない。
なぜなら自分が「どうしようもない煩悩」をもっていることをよく知っているからだ。
だが、
だからこそ誰かを好きになる。

誰かを好きになって、好きになった誰かを知りたくなり、知ろうとする。
だがしかし、知ろうとすれば、最終的に自分と同じ煩悩を誰かの中に見出してしまう。

どうしようもない煩悩を、人はAIで再現しようとは思わない。
どうしようもない煩悩を再現してしまうと世の中が破綻するからだ。


もし仮に、本気でホンマもんのAIを開発しようとしてる奴がいるとすれば、次の2つの理由から俺はそいつを心底軽蔑する。

そいつがここまでの理路を理解して、煩悩もろともAIを作ろうとしているのであれば、
それはとりもなおさず世の破壊者であり軽蔑する。ーー①


そいつがここまでの理路を理解せず、煩悩のこもらない上辺だけのAIを作ろうとしているのであれば、それは短慮なオモチャ屋であり軽蔑する。ーー②



つまり、
AIというものは、
その開発途上というより、開発初期段階において、
AIとは何かを思案した段階で、
「あまりに危ういから開発はやめるべきだ」となるべき代物だった。

だが人類はAIを開発し始めた。

その帰趨が②の短慮なオモチャ屋のお遊びだったと、心から軽蔑できる日が来ることを願ってやまない。

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