大同と小康 礼記礼運篇

■天下為公

「大道の行わるるや、天下は公と為し、賢と能とを選び、信を講じ睦を修む。故に人は独り其の親を親とするのみにあらず、独り其の子を子とするのみにあらず。老をして終わる所有り、壮をして用うる所有り、幼をして長ずる所有り、矜(かん)寡(か)孤独廃疾の者をして皆養う所有らしむ。男は分有り、女は帰する所有り。貨は其の地に棄てらるるを悪むも、必ずしも己の為にせず。是の故に謀は閉じて興さず、盗窃乱賊にして作さず、故に外戸は閉じず、是を大同と謂う。」

■天下為私

「今大道既に隠れ、天下を家と為し、各々其の親を親とし、其の子を子とし、貨・力は皆己の為にす。大人は世及して以て礼と為し、城郭溝池以て固めと為し、礼義以て起と為し、以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦まじくし、以て夫婦を和し、以て制度を設け、以て田里を立て、以て勇知を賢(かしこ)び、功を以て己の為にす。故に謀(はかりごと)是を用って作(おこ)り、而して兵此に由りて起こる。禹・湯・文・武・成王・周公は此れを由(もち)いて其れ選(すぐ)れたるなり。此の六君子は、未だ礼を謹まざる者有らざるなり。以て其の義を著らかにし、以て其の信を考(な)し、有過を著らかにして、仁に刑(のっと)り譲を講じ、民に常有るを示す。如し此に由らざる者有らば、執に在る者も去り、衆は以て殃(わざわい)と為す。是を小康と謂う。」

★礼記の大同思想には多分に社会主義の考えが貫かれている。孫文、毛沢東なども礼記の大同思想に共鳴しているが、礼記では私的価値を優先する小康思想を、公的価値を優先する大同思想の対立概念としては捉えていない。大同に至るまでの過程として、肯定的に「小さな平和」として捉えている。形式的には、マルクス·レーニン主義の解釈(資本主義の必然性)と似ているが、小康から大同への移行手段は果たして、いわゆる易姓革命なのだろうか。ちなみに、毛沢東は革命は行ったが、「天命」には従わず、自らを天命に位置づけてしまった。

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