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天地神名(Unique ancient Japanese Gods) 小稲荷小石 制作雑記

こんにちは!はじめましての方ははじめまして。カワバタロウです。

天地神名シリーズ第一作目の創作神様は
見た目の通り、お狐様をモチーフとした

「狐神様」

を描きました!!

#001 小稲荷小石

本来でしたら一番最初に制作雑記としてnoteに載せるべき神様だったのですが、004の甲斐湖ノ白姫から、制作雑記なるものを一緒に発信していこう!
と決めたので、順番が前後してしまいました、すみません…!

制作時の思いや、調べたことを思い出しながら、また再度ロケハンに行ったりなどして、あれこれまとめたものをお伝えできればなぁと思います!

さて、本題に戻ります。
まずは、お狐様と関りが深い

稲荷神社について


お稲荷様は全国にある神社の中でも、特に数が多くて、その数は1、2位を争うほど、つまり日本人にとってお狐様はとても身近な存在なのだということがよく分かります。

そして、江戸時代の頃にはこんな流行り言葉があったそうです。


「伊勢屋、稲荷に犬の〇」

なんとなく伏字にさせていただきました。お食事中の方はすみません。
書こうかどうか迷いましたが、ご想像のアレで合っています。

こんな風に言われてしまうくらい、江戸のあちこちでお稲荷様を見かけることができたのだそうです。

「稲荷神社を祀っているのはきつねの神様だ!」

……そう思われている方が日本人でも結構いらっしゃると思います。

……ですが、実は違います!

確かに境内に鎮座ましましている、特徴的なお狐様の姿は神聖で、そして同時にかわいらしくもあり、そのお姿は目に焼き付いて、なかなか忘れられるものではありません。

「これは狐神様…!」

そう思っちゃうことは、別におかしいことじゃありません。

ですが、ほとんどの稲荷神社における主祭神は、お狐様ではなく、

ウカノミタマノカミ
(ウカノミタマノミコト)
様などの

五穀豊穣、商売繁盛

に関わる神様をお祀りされているのが
実際のところではないかと思います。

稲荷神社におけるお狐様の本来のお役目というのは、

神使(しんし)

つまり神様のお使いであって、
お狐様自体は、ほぼ神様ではないのです。

ただ、日本語というものはとても面白くて、
由来も時期も定かではありませんが、
稲荷神社に関係する神様として、

御食津神(ミケツカミ)

という食物を司る神様がいらっしゃるのですが、

ミケツカミ様の当て字として、

「三狐神」(みけつかみ)

と表記されることもあるようで、

三狐神…!
つまり「三つの狐の神様!!」

さんこしん、サグジ、とも呼ばれ、
農家でまつる田の神
とされる場合もあるそうです。

「小稲荷小石」 のイラストには三狐神様になぞらえて、三体の狐を描かせていただいています。

本来なら神使であるお狐様ですが、
三体合わせて描くことにより、
「三狐神」
つまり神様とさせていただきました。

込めた思いとしては、詳しくは後述しますが、

「衣食住に困らない」
「みんなから愛されるようになって欲しい」

そういった親心から生まれた神様になります。

【小夜の夜泣石】


創作するに当たって、モチーフの一つとなった静岡の伝説を紹介していきたいと思います。

静岡は日坂から金谷に向かう道中、
国道一号線から南に少し入ったところに、
小夜の中山(さよのなかやま)(または佐夜の中山)
と呼ばれる、かつては東海道の三大難所と呼ばれた峠があります。

歌川広重 東海道五拾三次_日坂 佐夜ノ中山


特に西の沓掛(くつかけ)と、東の青木坂は、激坂の急勾配で、峠越えをする多くの旅人を悩ませたそうです。

ちょこちょこ車で細い山道を通ったりしている私だったので、
「ここも何とかなるかなー」と思っていたのですが、いざ西の沓掛の激坂入り口に来たところ、

「あ、これ無理…!!!」

と一瞬で断念。

色々怖すぎて車で下る気にはなれませんでした。

そして、峠の頂上には久延寺という観音様をお祀りしたお寺があり、奈良時代の行基(668~749)が開基と伝えられる名刹とのことです。

久延寺


お寺には夜泣石物語の妊婦のお母さんを弔うために建てられた供養塔があったり、自由につくことのできる釣鐘などがありました。

感謝と礼節をもって一度だけ、鐘をつかせていただきました。めっちゃいい音でした。


久延寺の向かいには、小夜の中山公園という開けた高台があって、天気の良い真昼に行きましたが、見晴らしもよく、とても開放感のある素敵な場所でした。

ただ何と言うか、特別な雰囲気というか、
神聖な霊気のような気配を感じる場所でした。

小夜の中山公園

この一帯、
小夜の中山峠には遠州七不思議にも数えられる伝説があって、上記でも少し触れましたが、

「小夜の夜泣石」(さよのよなきいし)

という伝説があります。

そこそこ有名な伝説かと思うので、知っている方はいらっしゃるかもしれませんが、お話の内容を簡単に説明したいと思います。

【小夜の中山 夜泣石】由来

その昔、ある日の夕方、
臨月になった妊婦さんが
久延寺の観音様を訪れ、安産祈願をし、
そして岐路の途につきました。

妊婦さんが西の沓掛(くつかけ)付近で
丸い石にもたれて休んでいたところ
突然、刀を持った山賊が現れ
妊婦を切りつけ殺し、
山賊はふところにあったお金を盗り
去っていきました。

妊婦さんは殺されてしまいましたが、
幸いというか
刀の先が
休んでいた丸い石に当たったため、
赤ちゃんの入っているお腹は
切り落とされることはなく、
その切り口から
赤ちゃんが無事生まれました。

ただ、このままでは
赤ちゃんもお母さん同様に
死んでしまいます。

お母さんはすでに殺され
亡くなってしまいましたが、
子を思う強い親心からか
お母さんは自分の魂を丸い石に乗り移らせ
赤ちゃんを助けるために泣いたのです。
(石が泣く)

山頂の久延寺のお坊さんが
その泣き声に気づき
山を西の方に下って辺りを見回すと、
道の真ん中に、丸い石の傍らで
お母さんは殺されていて、
生まれたばかりの赤ちゃんも
虫の息の状態で見つかりました。

丸い石から久延寺までの距離は
およそ2km近くあり、
お坊さんは
「こんなにも弱った赤ちゃんの声が聞こえるはずがない」
「泣いていたのはこの石に違いない」
と判断し、まずはお母さんを弔ってから
赤ちゃんをお寺に連れて帰り、育て、
立派な青年として世に送り出しました。

他にも、
赤ちゃんを育てようにも
お乳がなかったので
水飴で育てたりとか、
成長した青年は
大和の国の恩知村で刃物研師になり、
ひょんな偶然から
以前母を殺した仇と出会って
思いを語り合いお母さんの御霊を休めたり、
とのお話が続きます。
(かたき討ちをするパターンのお話もあります。)


【このお話を読んで思ったこと】



私がこのお話で特に心動かされたのは、

「殺されたお母さんが、死んだ後に、子供を助けた。」

という点になります。

普通に考えれば、
子供に何かをしてあげられるのは、
生きている時だけで、
私が死んだ後は当然
子供に何かをしてあげることは
出来なくなるわけです。

困っている時に助けてあげたり、
話を聞いてあげることも、
一緒に遊ぶことも、
行く末を見守ることも、
すべて、

何もできなくなるのです。

当然です。

だって
死んだらそれで終わり
なのですから。

めちゃくちゃ当たり前の事なのですが、しばらく考えさせられました。

「私が死んだ後に、残された子供にしてあげられることってなんだろう…。」

生前に何か財産的なものを残して、それを子供が受け取れるようにする…?

NFTについては、子々孫々までロイヤリティが入り続けるなどの情報もたまに見かけたりするので、ちょっと期待してはいますが、たぶん法整備などで、今後どうにでも変わってしまうと思うし、めちゃくちゃ不安定なものだと思うので、少しだけ期待感はありますが、正直いって、まったく安心していません。

色々、無い頭を振り絞って考え出した結果は、案の定というか、結局行きつく先はいつも同じなのですが、

私は絵描きなので、やっぱり絵で残すこと。

そして、普段から私という人間の生き方を子供に見せ続けることで、今後、人生を歩むための道しるべというか、何か困ったときに考えて、決断するための判断基準の一つにでもなれればいいかなーと思うに至りました。

「自分が描いた絵はかわいい子供たち」

こんな表現をどこかで見たことがある方はいらっしゃると思いますが、

この 「#001 小稲荷小石」 はまさにその通りで、親として子供の幸せを願って色々考えて設定し、重すぎる思いをぎゅうぎゅうにして詰め込んだ作品です。

そして、その思いを当の本人がいずれ知ることになっても、まったく知らずに生きていくにせよ、別にどちらでも構いません。

なぜなら、こうやって表現して形にすることで少なからず、私の心持ちというか、決意とか、何か生き方に変化が生まれるかもしれないと思っていて、

そして
もしかしたらなのですが、

どこかの酔狂な神様が

そんな私の願いを見ていてくれたりしていて、私が死んだ後も子供の事を気にかけてくれるかもしれない。

そんな、淡い妄想が
私がこの絵を描くようにと
後押ししてくれた気がします。

【小石とお稲荷様の関連】


お稲荷様と関連付けたのは、最初で書いた通りお稲荷様のご利益としてあげられる、

五穀豊穣、商売繁盛

衣・食・住に困らず、そして
全国各地に広まったお稲荷様のように

皆から愛されて
永く必要とされる存在になって欲しい―

そんな思いからになります。

また、夜泣石からほど近い場所、約300mほど離れたところに

沓掛稲荷(くつかけいなり)
という、とても小さくて、今にも朽ちかけそうなお稲荷様があるのですが

今にも崩れそうな鳥居
沓掛稲荷

沓掛稲荷の由来はちょっとわかりませんでしたが、仮に伝説当時からその場所にお稲荷様があったのだとしたら、夜泣石が泣いた時には、2Kmほど離れた久延寺のお坊様が助けに来てくれたわけですから、

300mという、さらに近くにある沓掛稲荷のお狐様も、きっと泣き声を聞いて気になって助けに来てくれたんじゃないかなぁ…。

と妄想が捗ったことも、お稲荷様に関連させてもらった理由の一つだったりします。

小稲荷小石は
私の願いの塊を具現化した神様です。


【名前など設定のお話】

名前の由来について。

小稲荷の小は、子供の(子:コ)
古いの(古:コ)を掛けています。

子は読んで字のごとく、「子供」
「まだ生まれて間もないという神様」
という意味です。

古の(コ)は、「古稲荷」で古いお稲荷様になります。

大昔、かつて「稲荷」がまだ「伊奈利」と呼ばれていたころ、秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐはたのきみ)はとても傲慢でしたが、それを反省する為に伊奈利社(稲荷神社)を最初に祀られたとの話を見かけ、子供にもそういった謙虚な性質を持ちあわせて欲しい、との思いで稲荷の前に「コ」という字を付けています。

小さいの「小」という漢字を選んだのは
なんというか、
ズバリ可愛いからでしょうか。

むしろ絵を描く上ではこっちの意味の方が、大きい要素な気がします。

名前の「小石」についても複数の意味を持たせてあります。

小稲荷小石は二つの性質を持ち合わせている神様で、第一に子供の性質を持っています。

「こいし」「恋しい」の意味を持ち、
まだ生まれて幾ばくも経たない
「母親が恋しい子供」という印象を含ませています。

そして、「石」については上述した小夜の夜泣石の「石」に掛けてあり、
「意思、意志(いし)」を持った人間に成長してほしいという思いにも結びつけています。

二つ目の性質について、
それは
「母親の性質、母性」を持っている神様
となります。

小夜の夜泣石物語で
殺されても子供を助けたという母親の名前は、「お石」さんと言うそうで、漢字で書くとおそらく「小石(おいし)」となります。

「小稲荷小石」は「こいなり こいし」という読みになりますが、

殺されても我が子を助けた、という母親への弔いと尊敬、そして子供にも、お石さんと同じような深い母性を持ち合わせて欲しいという思いから、母親の名前を頂戴する形で付けた名前になります。

つまり小石は

子供の性質と母親の性質二つを兼ね備えていて、そして、まだ生まれて間もないため、とても不安定で危うい存在の神様となります。

自分以外、誰一人もおらず
たった一人で生きて行かなければならない、という状況になった時、
仮に強靭な精神力を持ち合わせた屈強な人であったとしても、

いずれ近いうちに、おそらく心を壊してしまうことでしょう。

幼い小石ならば、なおさらで
そうならないように支えてくれる存在が、
生きて行く上で必ず必要になります。

残りの2体の狐たちがそれに当たり、
小石を支える存在となっています。

【二体のお狐様】

まずは、左下に寄り添うように小石を見上げる狐は、九尾の狐です。

そもそも九尾の狐は邪悪な存在として描かれることが多いと思うのですが、神獣や守り神の側面もあったり、政木狐などのように乳母をしてくれる優しい狐もいて、この狐は小石の育ての親―、つまりは助けてくれる誰かを象徴しています。

人に助けてもらうことが当たり前ではなく、
感謝して、それに報いる子になって欲しいという思いも同時に込めています。

そしてもう一つの狐は小石の左手から伸びた青白い細い狐です。

これも設定上、公表しようかどうか悩みましたが、折角なので書いておこうと思います。

この青白い狐は「へその緒」をイメージしていて、基本的には彼女の左手にくっついているのですが、デザイン的にSDキャラはここを描かないようにしました。

へその緒というと仰々しいですが、要は繋がりを示す狐です。

親との繋がり、人との繋がり、世界との繋がり。

「人は絶対に一人では、生き続けていくことはできません。」

孤立しても生きて行くことが、たやすくなった昨今ですが、それでも人との繋がりは存在していますし、人との繋がりを大事にして絶対に忘れないようにしてもらいたい…。そんな思いからこの狐を描きました。

細かい設定としては、Openseaにも記載したのですが、小石はこの青白い狐が食べたものでしか栄養を摂取することができません。

https://opensea.io/assets/0x495f947276749ce646f68ac8c248420045cb7b5e/5850470248119203964216710025151870944616732817911520342438481076114205704193

自身の口でも食べることはできますが、
成長することはできず、
命を保つこともできないのです。


【その他設定について】

モチーフとなった小夜の夜泣石ですが、
現在中山峠には2つの夜泣石があります。

一つは上述した久延寺にあるもので、これは夜泣石物語の妊婦(小石姫)を弔う為に建てられた供養塔とされています。

久延寺夜泣石

そしてもう一つの夜泣石は
国道1号線の日坂バイパスの一本北に入った所にある、小泉屋という夜泣石伝説に出てきた子育飴を販売しているお店があるのですが、

そのお店のすぐ脇にある階段を上った所に
夜泣石は安置されていて、こちらが実際に伝説に出てくる石そのものになります。

夜泣石

ちなみに小泉屋さんは創業1751年(約270年前)という、とても歴史のある老舗です。

中では静岡おでんも売っています。
子育飴ソフトクリームが人気で、
とてもいい感じのお店でしたので
また機会があったら立ち寄ってみたいです。

もう一店、久延寺のすぐ隣にも子育飴を売っているお店があり、扇屋というお名前なのですが、例のウイルスの影響のせいか、私が立ち寄った時にはお店は営業されておらず、立ち寄ることはできませんでした。

ですが、調べたところこちらも創業1710年頃とのことで、約300年もの歴史があり、峠を越える旅人の為にお店を営んできた老舗になります。

昔はたくさんの飴屋が軒を連ねていたそうですが、今、峠に残るのはこの一軒のみで、調べていくとなんだかとても物悲しい気持ちになってしまいました。

こちらも時期を見て再び行ってみたいと思います。

夜泣石は歌川広重が描いた東海道五拾三次の絵にも描かれており、
当時は道のど真ん中にでんと横たわっている様子が伺えます。

歌川広重 東海道五拾三次_日坂 佐夜ノ中山

夜泣石伝説自体はとても古いお話で、弘法大使(774年-835年)が石に仏合を刻んだというお話もありますので、それよりも前からある伝説なのかもしれません。

そしてここでも不思議なつながりですが、
いにしえの「伊奈利」の名称を、現在でも呼称されている「稲荷」に変えられたのは、どうも弘法大使ではないかとの話もあって、

稲荷と、夜泣石伝説との繋がりが偶然見つかり、とてもワクワクしました。

そして、小稲荷小石には

「お母さんを探している」

という設定があります。

お母さんとはつまり、夜泣石で言うところの
がそれに当たるのですが、

この夜泣石にも色々と逸話はあって、
今でもそれは続いています。

昔は東海道の真ん中にあった夜泣石ですが、
明治天皇が中山峠を通られるということで、
道の脇に移動させられたり、

同じく明治の時代に、東京での博覧会で夜泣石が展示される

「泣かない!」

と不評まみれだったとか…。

挙句の果てには帰り道で焼津の浜で半年ほど雨ざらしで放置されたりして、
見かねた地元の人たちが掛川へ持ち帰る
所有権の裁判があったりとかで、散々な目に。

小泉屋の方からお話を少し聞かせてもらいましたが、予算がなく本来あった場所に石を戻すことができず、他にも様々な諸事情があるのだとは思いますが、現在石は元あった場所からは離れた場所に安置されてはいるものの、

何というか、
物質的にも精神的にも、

石(お母さん)が迷子になっているような気がして、とても悲しい気持ちになりました。

「本来あるべきところに、石は帰ってきていません」

夜泣石が本来あったとされる場所(西の沓掛付近)

小稲荷小石はそんな、迷子になった石(お母さん)を探しています。

他にも色々な要素はあるのですが(ミシャクジ様、塞の神など)、あまり説明しすぎるのも野暮かなと思いましたので、これぐらいにして、あとは見てくれた方の想像にゆだねたいと思います!

ここまで長い文章をお読みくださって
ありがとうございました!!

もし天地神名シリーズに興味を持っていただけましたら、今後も見に来てくださるとうれしいです!

それでは!

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