日光道中・奥州道中 その2 「あれこれ行き交う伝馬町 思わぬところに思わぬ地酒(日本橋~横山町)」
昭和通りの地下道をくぐり、次の町へと歩きます。
今の住所でいうと「日本橋本町」から「日本橋大伝馬町」へ。
かつての、人物や荷駄を乗せた馬を次の宿場や目的地まで運んだことに由来するといわれる「伝馬町」、今の地下鉄の駅名では「小伝馬町」がありますが、「大伝馬」もあるのです。
ちなみに、二度目の日光・奥州道中の歩きのときは、歩き始めたばかりの午前7時でしたが、こちらの建物を目にして「このあたりは、小伝馬とか大伝馬とかの界隈でしたね」と反応してしまいました。
(その時間ですので、酒場はやっていませんが・・・)
ちなみに、このお店の看板のお酒「道灌」、いかにも江戸城を思わせる名前ですが、看板に書いてあるとおり「近江の地酒」です。
東海道や中山道をはるばる歩いて近江路へ、「草津」の宿場近くの酒蔵さん、由来書によると、徳川幕府の命を受けて草津に住み、街道の動静を見張る役割を果たすこととなった太田道灌の末裔が、明治時代に酒蔵を創業したとのことです。
私は、二度目の日光・奥州道中を歩く少し前に、東海道の草津・大津を歩いたときに、地酒として「道灌」を見つけて、江戸からは遠く離れた近江路で「太田道灌」のお酒???と気になって、見つけて飲んでいたので、この酒場を見つけたときは、近江路で思いがけなく見つけたお酒の名前が、またまた思いがけなくも、江戸のお膝元で繋がった!と、看板から妄想を広げて(笑)感心しつつ歩きました。
さらに道なりに進んで、横山町の問屋街へ。
この界隈は、一見すると、呉服店や洋品店といった衣料品店が並ぶ、ファッション関係の多い商店街のように見えますが、よく見ると、ほとんどが問屋の建物で、「小売はしていません」という但し書きの貼り紙を多く見かけました。
この界隈は、江戸時代から街道沿いに多くの人や物が行き交い、様々な品物を扱う問屋が軒を並べて賑わいを見せていたそうです。
そして、横山町の問屋街をしばらく歩いて、最初は物珍しかった「見た目は普通の洋品店だけど、一般客は買い物ができない問屋さんのビル」も、そろそろ見慣れてきたかなという頃になって、今の幹線道路に突き当たり、北は浅草・東は両国へと通じる複雑な交差点に差し掛かりました。
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