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日光道中・奥州道中 その3「神田川 見附を越えてその先へ 見つけて気になる屋形船(横山町~蔵前)」

 横山町の問屋街を抜けて国道に合流するところで、複雑な交差点に突き当たります。

日光道中歩きとは別の日に撮っていた交差点。
奥に見えるビルの隙間から出てくる道が日光道中です。
複雑な交差点、「異形矢印」とも称される特徴的な道路標識もあります。

 この先の「浅草橋」では、左側(西側)の歩道を歩くと、江戸時代に関東地方などの幕府直轄地(天領)の年貢徴収や治水といった行政に携わった「郡代屋敷跡」や、江戸城の内部と外部を区切る城門「浅草見附」跡の石碑といった史跡案内板があります。
 ただし、私は、一度目・二度目ともに、交差点の信号や横断歩道の渡りやすさを優先したためか、右側(東側)の歩道を歩きした。
 その右側の歩道を歩いていると、気になる鳥居を発見、初音森神社です。

ビルの入口のような鳥居、階段を上って参詣するつくりです

 せっかくなので、階段を上って立ち寄ってみました。

神社の由来
馬場ができた天文二十年は、小田原北条氏が武蔵国の大半を平定した頃で、戦国時代とはいえ、馬追いの催しを実施できるほどの平穏がもたらされたのかもしれません
高木源兵衛は、江戸に入った家康により、馬喰(馬の取引業者)を取りまとめる「博労頭(馬喰頭)」に任命されたそうです

 伝馬町の酒場で味わえるお酒「道灌」を醸し出す酒蔵のルーツ「太田道灌」により社殿が建てられたと伝わる神社、その昔は、先ほどの複雑な交差点のあたりが「初音の森」と呼ばれていたそうです。

 初音森神社をあとにして、神田川にかかる「浅草橋」を渡ります。

井の頭池から25kmほどにわたって流れてきた神田川を渡る浅草橋
神田川には140ほどの橋が架けられていますが、この浅草橋は下流(隅田川への合流点)から数えると2つ目の橋、井の頭池から神田川を下る散歩では、ゴール直前の大詰めです。

 ここを歩くたびに、川に浮かぶ屋形船を見つけては気になって眺めながら、かつては江戸城の外濠の役割を果たしていた神田川を渡ります。

 
 江戸の古地図には、かつては、浅草橋の南側(先ほどの神社や交差点のあたり)に、江戸城外濠の守りをかためる城門「浅草見附」が設けられ、街道を取り囲むようにつくられた「見附」の門を通る道筋だった様子が描かれています。
 
 さらに進み、浅草橋駅近くの総武線の下をくぐって、五月人形などの老舗が並ぶ通りを進みます。

なぜか、兜や雛人形よりも大きく目立つ「ビールペンギン」を思わせるペンギンさん

 さらに歩いて、幕府の米蔵が建ち並んでいたことに由来する「蔵前」へ。

蔵前の交差点沿いのスペース、案内板などもあります
このあたり、今の町歩き感覚では、高低差とは無縁の川沿いの低地イメージですが、かつては、「鳥越の丘」という高台があったのですね。
今の鳥越神社のあたりでしょうか?
利根川と荒川が合流してこの地(今の隅田川の流路)に流れ込んでいた頃には、上流から多くの土砂も流れ込み、隅田川近くに自然堤防のような高台「鳥越の丘」があったのかな?

 案内板もう一つ、伊能忠敬のゆかりの地「天文台跡」です。

 全国を歩いて地図を作り上げた達人の健脚にあやかりたいと願いつつ、まだまだ街道は続きます。
 
 
 

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