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誕生日2024

さあ、今年も誕生日がやって来た。

2年前に誕生日の呪いを解いたものの、それでもやっぱり誕生日はわたしにとって特別な日で、無事に楽しく過ごせるかドキドキしてしまう。笑
1人で好きなことをするだけで十分幸せなのだとわかったけれど、どうしても『特別に祝ってほしい人=恋人』がいると、何かしてくれちゃうかなと期待してしまって困る。


去年の1月、ふと、中学3年の冬に突然いなくなった父が、失踪前のわたしの誕生日にピアノの形のライトをくれたことを思い出した。

赤とか白とかいろんな色に変わるライト

大好きだった父のくれたものだから、父の思い出として大切にしていたのに、ある日母に勝手に捨てられた。
「パパがくれたものなのに!」と言ったところで謝るような母ではないから文句は言わなかったけれど、すごく悲しくて、許せなかった。

鍵盤にタッチすると色が変わるライト。誕生日の朝起きたら枕元に置いてあったのを覚えている。
父はチャーミングな人だったので、中3のわたしにもこんなサンタさん風にプレゼントをくれたりして、人を喜ばせたり楽しませたりが好きだったのだと思う。
失踪した父は20年後にひょっこり現れたのだけれど、わたしと妹と母の誕生日をしっかりと覚えていて、さらに新たなメンバー孫3人の誕生日も覚え、その後毎年みんなの誕生日に仕事先の美味しいものなど送ってくれた。

それを思い出して、ああ、わたしがいまだにこうして誕生日を楽しみにしてしまうのはきっと、子供時代に毎年父からそうしてお祝いしてもらっていたからなんだなあ、誕生日はワクワクする日だったんだなあと気づいて、泣いた。
そのあとで父に電話してピアノのライトのことを話した。33年前のことなのに「ああ、あのライトね。」と、ちゃんと覚えていた。



大変残念ながら、そんなわたしの大好きな恋人は全く誕生日にこだわりがない。
わたしは恋人の誕生日が楽しみで楽しみで、今年は何をして驚かせようかと数ヶ月前からワクワクしてしまうのだけど、恋人には全くその脳みそがない。
3年前なんて、誕生日の日付すら間違えてわたしを奈落の底に突き落としたくらいだ。笑
でももうこれは、恋人は歴史が大好きだけどわたしは1ミリも興味がない、とか、わたしはミュージカルが好きだけど恋人は全く観ない、とか、そういうレベルのことなのだと理解した。
わたしが歴史を強要されたら、どんなに彼のことが大好きでも嫌だなって思うし、わたしも彼がミュージカルを観ないのをわかっているから一緒に観ようとも思わない。
誕生日だってそれと同じレベルのことなのだ。わたしにとっては特別でも。

…とわかってはいても、諦めもついていても、結局今朝「おめでとう」とLINEをくれた恋人に「ありがとう」と返信しつつ、また深く深くがっかりしてしまった。
そしてその後、「…なんで1時間でも時間を作らねえんだ!!」とヤクザのようになってしまった笑。
せっかくの誕生日なのにこれはいけない!気分が台無しになってしまう!と、ノートに気持ちを書き出してみたり、逆にどうだったらわたしは嬉しいのだろうと考えてみたりした。

そうしてヤクザな心が落ち着いて来た時に

「あ、当日にお祝いしてほしいんだって伝えればいいのか。」

と気づいた。

わたしは、彼は誕生日がどうでも良いのだなと理解して、自分の希望を伝えてもいなかったのだった。
なので
「いつか、当日にお祝いしてね」
と送った。
去年のわたしなら、この1文すら彼に遠慮して言えなかったと思う。
2024年ひとつ歳をとって、これを言えた自分が嬉しかった。
彼が読んで、なんでそんなに誕生日当日にこだわるんだろうなあ、わからないなあと思ってもいい。わたしは、当日にお祝いしてもらいたいんだ。


…と、毎年毎年47歳になっても誕生日は一大事だ。笑

抜けきらない誕生日の呪いはわたしの厄介な一部ではあるけれど、でも父に大事にされた証の呪いだから、これは幸せな呪いなのだと思えた。

父がお金のない時、一万円で買ってあげたわたしの誕生日プレゼント色紙。

その日麻雀でその一万をすってなくし、わたしにバレてしゃもじを投げつけられた。
しゃもじ事件、10年前なんだなあ。




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